グリンデルワルトにて 新田次郎 「アルプスの谷 アルプスの村」のホテル・ベルビュー  

スポーツショップ「モンベル」で会計時に店員さんに聞いたのですが、「モンベル」をグリンデルワルトに出店するようになった経緯(いきさつ)は、創業者の方が、アイガーに登攀し、「スイスにはお世話になったから」という理由で、出店したとの事でした。

私は「モンベル」の店員さんに案内してもらったホテル・ベルビューへ向かいました。

ホテル・ベルビューは、モンベルから歩いてすぐ近くの、通り沿いにありました。
私がホテル・ベルビューに行くのは、理由がありました。

クライネ・シャイデックでは、作家、新田次郎の遺品が眠るお墓に行き、グリンデルワルトでは、新田次郎の作品「アルプスの谷 アルプスの村」に出て来る山岳ガイド、エミール・シュトイリ氏のお墓に行き、ホテル・ベルビューは、そのエミール・シュトイリ氏が経営していたホテルなのです。

新田次郎も訪れたホテルで、スイスの旅行ガイドブックや案内書、写真集などにも、時々取り上げられているようです。

新田次郎が訪れた頃とは違い、当然だいぶ変わっているだろうと思いましたが、実際に変わっていました。

お店に入ると、テーブルに案内され、私はチーズ・フォンデュはあるか聞きました。
この時間帯だとやっているとの事でしたので、チーズ・フォンデュを頼みました。
スイスの本場のチーズ・フォンデュを、新田次郎も訪れた、エミール・シュトイリ氏のホテルで食べたかったのです。

チーズ・フォンデュには、パンとゆで卵が付きました。
飲み物はオレンジジュースを頼みました。
なかなか美味しかったです。
ただ全部は食べ切れませんでした。

以前にスイスに来た時もそうだったのですが、スイスのドイツ語圏の料理は、量が多くて、味もきつくて、どうやら日本人の私には合わないようでした。

首都ベルンに滞在中も、グリンデルワルト滞在中も、量が多くて、味がきつくて、料理は合いませんでした。
ドイツにも行った時があるのですが、場所によってドイツ料理も量が多く、味がきつく、なかなか食事が進みませんでした。

以前にスイスに来た時、ドイツ語圏ではあっても、ルツェルンでカぺル橋とロイス川沿いのレストランで食べた、フランス風の魚がメインで副食がご飯の料理は、問題なく全部、美味しく食べられました。

今回のスイス滞在中で気付いた事なのですが、どうやらドイツ語圏の料理が駄目で、フランス語圏、イタリア語圏、ロマンシュ語圏の料理は、問題なく美味しく食べられるようです。

やはり地方によって、食文化に違いがあるのでしょう。

グリンデルワルトにて アウトドアショップ・モンベル

メンリッヘン展望台からグリンデルワルトに戻って来ました。

それからグリンデルワルト駅からすぐ近くにある、メインストリート沿いの「モンベル」というスポーツショップへ行きました。

山歩き用の靴と靴下、水筒を買うためです。

ベルンの石畳の街を散策し、ロシニエールを散策。
グリンデルワルトに着いてからは、ラウターブルンネンに行き、散策中に足にマメが出来て、バンソーコ-を貼り、靴下を二重にして、ミューレン、アルメントフーベルと、何とか歩いていました。

それから翌日、翌々日と、途中何度も休みながら、足をかばいながら、グリンデルワルトの村を散策し、ユングフラウ展望台へ行き、クライネ・シャイデック、メンリッヘンと散策しましたが、

「滞在中はスニーカーではとても歩けないな。ハイク用か登山用の靴でないと移動出来ないな」と思いましたので、メンリッヘン展望台を見学した後は、まっすぐにスポーツショップの「モンベル」に向かいました。現地の日本人の方に「ここのスポーツショップはいいよ」と勧められていたからです。

店員の女性に靴と靴下を選んでもらい、山歩き用の靴と靴下、水筒を買いました。
散策していて感じたのは、山の国なので、歩くしのどが渇くので、水筒は持って歩いた方がいいという事でした。
店員の女性は、「私もそうなんです。最初は歩き慣れるまでは、マメも出来るし、誰もが通る道です」と言いました。
「ハイク用のスティックはどうしますか?」と聞かれましたが、それは買いませんでした。

それから私は店員さんに場所を聞いて、ホテル・ベルビューへ向かいました。
「ホテル・ベルビューはどの辺にあるか分かりますか? ここのチーズフォンデュは美味しいと聞いたので、滞在中に食べてみたいんです」

「ホテル・ベルビュー? ああ、そこならここから歩いてすぐですよ。 まだお昼だから、チーズフォンデュもあるかもね」と言いました。

私は翌日からの散策のために、「モンベル」で山歩き用の靴と靴下、水筒を買った後、いったんホテルに荷物を置いてから、ホテル・ベルビューへ向かいました。

グリンデルワルトの夜景

グリンデルワルトに滞在中のホテルで、部屋にはベランダがあり、ベランダにはイスもあり、窓際からゆっくりと、景色を眺める事が出来ました。

スイスの夏は21時か22時頃まで明るく、22時以降に暗くなるのですが、散策を終えて夕食を取り、シャワーを浴びて一息ついた後に、改めて部屋の窓からグリンデルワルトの夜景を見ると、とても綺麗でした。

暗いので良く見えませんが、星は良く見る事が出来て、とても綺麗なのです。

グリンデルワルト滞在中に、毎日散策を終えて、部屋から眺めるグリンデルワルトの夜景は、とても綺麗でした。
空気がひんやりしていて、若干寒いのですが、星がキラキラまたたいていて、とても綺麗です。

正確に言うと、ホテルの部屋のベランダから、少しずつ暗くなっていき、山々と緑の野や丘、空や村に少しずつ影が差して、夕焼けがとても綺麗なのです。

散策して見学するのも楽しかったのですが、ほっと一息ついたホテルの部屋の窓から、夕暮れのグリンデルワルトを見ているのも、観光に来たという実感が湧いて、とても良かったです。

グリンデルワルトの夜は、シ~ンと静まり返っていて、本当に静寂という感じでした。

メンリッヘン展望台

翌朝、ホテルで朝食を摂ると、メンリッヘン展望台へ行きました。

グリンデルワルト駅から1つめの駅のグルント駅へ行き、そこから歩いてメンリッヘン行きのゴンドラ乗り場へ行きました。
グルント駅までは列車で約10分、ゴンドラ乗り場までは歩いて10分ほどでした。

ゴンドラは赤いゴンドラでした。
ゴンドラに乗ってメンリッヘンへは、約30分ほどでした。
ゴンドラの中から見える眼下や遠くの景色に圧倒されました。

幾つにも連なる山々や、山に掛かる白い雲、広く青い空、緑の野に草原や花々、雪や湖や川、森、丘の斜面には家が立ち並び、マーモットや鹿、放牧の牛も見えました。

ユングフラウ地域には、たくさんの展望台があるのですが、メンリッヘン展望台は一番人気のある展望台のようです。

展望台には草原が広がっており、あたり一面は綺麗な花畑が広がっていました。
たくさんの高山植物が咲いていました。

展望テラス、カフェやレストラン、ミニ遊園地などがり、ハンモックまでありました。

ウェンゲン行きのロープウェイ乗り場もあったのですが、今回は歩き疲れていたため、次回また行く事にしました。

メンリッヘン展望台から、また同じように、赤いゴンドラで約30分、メンリッヘン行きのゴンドラ乗り場へ戻って来ました。行きと同じように、帰りの景色も、とても凄かったです。

メンリッヘン行きのゴンドラ乗り場の周辺は、山々が連なり、丘の斜面に家々が立ち並び、駐車場になっているのか、アスファルトで舗装されており、かなり広かったです。

メンリッヘン行きのゴンドラ乗り場から歩いて約10分、グルント駅に戻りました。
グルント駅付近を歩いてみましたが、駅の近くに川が流れていていました。

私はグルント駅からグリンデルワルトへ戻りました。


グリンデルワルトにて ドルフ教会とエミール・シュトイリの墓

クライネ・シャイデックからグリンデルワルトに戻って来ました。
グリンデルワルトも、何十年も前と比べると、日本人の観光客も多く、雰囲気もだいぶ変わっているのだろうとは思います。
ただ宿泊先があるからなのかは分からないのですが、グリンデルワルトに来ると、なぜか気持ちが落ち着くのです。安心出来るのです。

駅前は工事をしていました。
駅前の大通りはハウプト通りと言い、村のメインストリートです。
グリンデルワルト駅を降りて、駅前の大通りをまっすぐ、どこまでも歩いて行きました。
教会へ行くためです。
教会の名前はドルフ教会と言います。
この辺りの通りは、ドルフ通りと言うようでした。

この教会は、ラウターブルンネンのシュタウプバッハの前にある教会と同じで、ガイドブックや写真集で何度も見掛けていた事もあり、一度訪れてみたかったのです。
また教会内の墓地に、新田次郎のエッセイ「アルプスの谷 アルプスの村」に登場するグリンデルワルトのホテル・ベルビューの名山岳ガイド、エミール・シュトイリ氏のお墓があるという事でした。

教会内の敷地に入り、入り口の扉に近付くと、扉が勝手に開きました。
「あれ?」と思って、また下がって、また扉に近付くと、また扉が勝手に開きました。
どうやら人が来ると、自動で扉が開くようでした。

中に入ると、何人か人がおり、キーボードを弾いている人もおりました。

「すみません、ここはドルフ教会ですか?」と尋ねると、男性の方が「そうです、ドルフ教会です」と答え、

「何かあるんですか?」と聞くと、「これから結婚式なんです」との事でした。

教会を正面に、敷地内を右の方を歩いて行くと、墓地がありました。
お墓を1つ1つ探して行くと、エミール・シュトイリ氏のお墓がありました。

お墓には確かにエミール・シュトイリとあり、1888-1971とありました。
お墓には愛用のピッケルも付いていました。私は合掌しました。

この教会の墓地は、登山史に名を残すアルピニストやガイドの眠る墓地だと聞きました。

ドルフ教会とエミール・シュトイリ氏のお墓を見た後は、駅前のレストランで夕食を取り、ホテルに戻りました。夕食はアルペンマカロニを食べました。

クライネ・シャイデック展望台にて 新田次郎の記念碑

歩き疲れたので、レストランで休んでからホテルのあるグリンデルワルトに戻る事にしました。
たくさん歩いたので暑いはずなのですが、それでも山の上の方は寒かったです。

レストランでは温かいスープとソーセージ、紅茶を頼みました。
スープの入れ物がパンをくり抜いた入れ物になっており、とてもお洒落でした。
レストランの中も、内装も、とても清潔でお洒落で、ゆっくりと休む事が出来ました。

ここではもう1つ、現地の日本人に聞いたのですが、有名な作家、新田次郎の墓がありましたので、見に行きました。
墓と言っても新田次郎が眠っている訳ではなく、「新田次郎の遺品」が眠っているとの事でした。
アルプスを愛した新田次郎が、スイスに骨を埋めて欲しいと言ったそうなのですが、スイスの方で「さすがにそこまでは」となり、代わりに遺品を埋める事になったそうなのです。

休憩を取ったレストランのすぐ近くに、小高い丘があり、木の階段がありました。
登って行くと、石垣があり、そこに新田次郎の遺品が眠るお墓がありました。
そこにはこう書いてありました。

「アルプスを愛した日本の作家 新田次郎 ここに眠る (1912-1980)」

新田次郎の作品は何冊か読んだ事があります。
その中で今でも、何度も読み返しているのが、「アルプスの谷 アルプスの村」です。
新潮文庫から出ており、学生時代に駅の売店で見掛けて、タイトルに惹かれ、買って読んだのがこの作品です。
その中でグリンデルワルトのホテルと、山岳ガイドのエミール・シュトイリについて書かれており、今回グリンデルワルト滞在中にそのホテルと、エミールシュトイリ氏のお墓を訪ねました。

新田次郎はオーストリアの「チロルの谷 チロルの村」というエッセイも書く予定だったらしいのですが、書かずに終わってしまったらしいのです。

クライネ・シャイデックを散策し、レストランで休憩を取り、新田次郎のお墓を見てから、グリンデルワルト行きの列車に乗り、グリンデルワルトに戻りました。


クライネ・シャイデック展望台にて アルペンホルンの演奏

ユングフラウ展望台のレストランで、温かいスープを飲み、休憩を取り、体が温まりましたので、また山岳鉄道に乗り、クライネ・シャイデックへ向かいました。

グリンデルワルトからユングフラウへ行く途中で乗り換えた場所です。
クライネ・シャイデックがユングフラウへの乗り換え地で、ほかにユングフラウへの行き方があるのかは分からないのですが、たぶんユングフラウへ行くには、クライネ・シャイデックからでないと行けないようでした。

クライネ・シャイデックに着くと、駅の周辺をしばらく散策しました。
駅舎の建物は大きくて、駅の周辺にはレストランやホテルがあり、3方向に線路が延びていて、ハイキングコースもあるようでした。遠くにはロープウェイも見えました。

前回スイスに来た時も、ユングフラウへ行くのに、このクライネ・シャイデックに来た事があり、駅前で、串刺しにして立ててあるソーセージを食べた事があります。

幾つもの列車が、駅や山の麓を、何度も行き来しており、あちこちに小屋が点在していました。
駅の周辺を散策したのですが、登っても登っても先があり、歩いても歩いても、なかなか山の上の方まで近付く事は出来ませんでした。

駅の近くのホテル前で、ホテルで働いている方だと思うのですが、男性の方が草むしりをしていました。

クライネ・シャイデックを散策して気付いた事は、前回来た時もそうだったのですが、駅舎も周辺のホテルも、建物の色が茶色で、ホテルの窓の色は緑色なのです。

それからアルペンホルンを持った男性が2人、駅の前の線路沿いで演奏していました。
撮影か何からしく、カメラマンが数人と、メモを持って取材している方がいました。
グリンデルワルトに着いた時に、現地の日本人に聞いたのですが、クライネ・シャイデックでは、時々アルペンホルンの男性が来て、アルペンホルンを吹いているのだそうです。

山の上の方から見る眺めは、とても綺麗でした。
駅舎やホテル、レストラン、小屋、列車なども小さく見えました。
アイガー、メンヒ、ユングフラウも見る事が出来ました。