部屋から窓を開けてグリンデルワルトの山や村や風景を見ていると、「スイスに来たんだなぁ」という実感が湧いて来ました。
「あれはアイガーかな?それともヴェッターホルンかな?」
ホテルは入口を入って左側は来客用のロビーがあり、バーのような小さなカウンターがありました。
右側は通路を真っすぐに行くと、朝食用のフロアーがありました。
「すみません。少し外を散歩して来ます」
「Have a nice day(良い一日を)」
グリンデルワルト駅の周辺を散歩しました。
駅前の通りには、たくさんのお店が並んでおり、途中一部工事中の所がありました。
ベルンの石畳の道や、ロシニエールの山道と違い、グリンデルワルトの駅前の通りは、舗装されており、歩きやすかったです。
グリンデルワルト駅前の通りはメインストリートで、ガイドブックによると「ハウプト通り」と言うようでした。
通りをひと通り散歩した後、駅の近くのレストランに入りました。
メニューを見て悩んでいると、日本語のメニューを持って来てくれました。
サラダにお肉に、ポテトにマッシュルーム、パスタを頼みました。
店員さんが日本語で「おいしい?」と聞いてくれました。
やはり観光の国のようで、日本人の観光客もたくさん来るからでしょうか?
「美味しいです。ありがとうございます」と答えました。
分量が分からなかったため、多く頼みすぎました。
というより、こんなに量が多いとは思いませんでしたので、少し残してしまいました。
レストランでしばらく時間を過ごした後、ホテルへ戻りました。
ホテルへ戻っても、夜の22時頃までは外は明るく、窓の外から村を眺めていました。
どこもかしこも、どこに目をやっても、緑のじゅうたんのようで綺麗でした。
とても綺麗なので、ずっと見ていても一向に飽きないのです。
現地の日本人の方に、お話を聞きました。
グリンデルワルトの人口は、現在4000人ほどで、今は住むのが難しくなっているとの事でした。
国土は国の物で、所得が幾ら以上でないと家を建てられない、住む事は出来ないと、審査も厳しくなっており、お金も納めないといけないようです。
家を建てるのも難しくなっており、理由は観光の国なので、これ以上家が増えてしまうと「景観を壊してしまうから」という事でした。
「景観を壊してしまうから、家も木造でしか建てられない事になっています」との事でした。
シャレー風の家は木造で、家のように見えるけれど、アパートとの事でした。
「外国人も増えて来てしまって、盗難やスリなどの犯罪が増えたのもそのせいかもしれません」との事でした。
旅行記 ユングフラウ地方の観光の中心グリンデルワルトへ
ツヴァィジンメンで乗り換えてインターラーケン行きの列車に乗り、途中ずっと窓を眺めていました。
私の乗っている車両には乗客は少なかったのですが、右側の席に女性が2人座っていて、1人は若い女性で、もう1人は女の子でした。
女の子が夢中になって喋っていました。
若い女性の方はただ「うんうん」と頷いているだけでした。
何を話しているかは分かりませんでしたが、2人とも途中シュピーツ駅で降りて行きました。
ロシニエールからツヴァィジンメンまでは、約1時間15分、ツヴァィジンメンからインターラーケンまでは、約1時間半掛かりました。
スイスの列車は発車する時に、発車の音や駅員さんの合図はなく、そのまま出発してしまうのです。
また降りる時も乗る時も、ボタンを押して列車のドアを開けるのです。
それから列車に乗ると、どの列車に乗っても、駅員さんが乗車券を確認しに来ますので、行き先が分からない時などは、大変助かりました。
感心したのは、駅には階段のほかにスロープがあって、車椅子などの障害をお持ちの方や、子供やお年寄りの方などの移動も配慮されているようでした。
「こういう点は日本と違うところだな。やっぱり鉄道が発達してる国だからだろうか?」と思いました。
きちんと整備されていて、細かいところまで配慮が行き届いているように感じたのです。
それからスイスはどこへ行っても景色が綺麗なので、長時間列車に乗っていても飽きないのです。
窓の外をずっと眺めている事も出来るし、写真を撮る事も出来ます。
インターラーケンに着きましたので、インターラーケン・オスト駅で降りて、グリンデルワルト行きの列車に乗り換えました。
グリンデルワルトへは登山鉄道で30分くらいでした。
インターラーケン・オスト駅からグリンデルワルト行きの列車は30分おきに出ているようでした。
グリンデルワルトに着きましたので、成田空港から送ったスーツケースを駅で受け取りました。
それから予約してあったホテルに行き、チェックインを済ませ、部屋に入って一息入れました。
なかなか素敵なホテルで、綺麗な部屋でした。
部屋の窓を開けると、目の前に大きな山と、緑の中のあちこちにシャレー風の家が見えました。
私の乗っている車両には乗客は少なかったのですが、右側の席に女性が2人座っていて、1人は若い女性で、もう1人は女の子でした。
女の子が夢中になって喋っていました。
若い女性の方はただ「うんうん」と頷いているだけでした。
何を話しているかは分かりませんでしたが、2人とも途中シュピーツ駅で降りて行きました。
ロシニエールからツヴァィジンメンまでは、約1時間15分、ツヴァィジンメンからインターラーケンまでは、約1時間半掛かりました。
スイスの列車は発車する時に、発車の音や駅員さんの合図はなく、そのまま出発してしまうのです。
また降りる時も乗る時も、ボタンを押して列車のドアを開けるのです。
それから列車に乗ると、どの列車に乗っても、駅員さんが乗車券を確認しに来ますので、行き先が分からない時などは、大変助かりました。
感心したのは、駅には階段のほかにスロープがあって、車椅子などの障害をお持ちの方や、子供やお年寄りの方などの移動も配慮されているようでした。
「こういう点は日本と違うところだな。やっぱり鉄道が発達してる国だからだろうか?」と思いました。
きちんと整備されていて、細かいところまで配慮が行き届いているように感じたのです。
それからスイスはどこへ行っても景色が綺麗なので、長時間列車に乗っていても飽きないのです。
窓の外をずっと眺めている事も出来るし、写真を撮る事も出来ます。
インターラーケンに着きましたので、インターラーケン・オスト駅で降りて、グリンデルワルト行きの列車に乗り換えました。
グリンデルワルトへは登山鉄道で30分くらいでした。
インターラーケン・オスト駅からグリンデルワルト行きの列車は30分おきに出ているようでした。
グリンデルワルトに着きましたので、成田空港から送ったスーツケースを駅で受け取りました。
それから予約してあったホテルに行き、チェックインを済ませ、部屋に入って一息入れました。
なかなか素敵なホテルで、綺麗な部屋でした。
部屋の窓を開けると、目の前に大きな山と、緑の中のあちこちにシャレー風の家が見えました。
旅行記 「アルプス物語 わたしのアンネット」の村ロシニエールからグリンデルワルトへ
ロシニエールでツヴァィジンメン行きの青い列車に乗って、グリンデルワルトへ向かいました。
駅員さんが来ましたので、「すみません。グリンデルワルトへ行きたいんですけど、ツヴァィジンメンで乗り換えればいいですか?」と聞きました。
「そうです。ツヴァィジンメンで乗り換えて下さい」
「あっ、そうですか、ありがとうございます」
しばらく窓の外を眺めていると、また同じ駅員さんが来ました。
「いいですか?この列車はツヴァィジンメンに13時32分に止まります。そうしたらインターラーケン行きの列車が38分に出るので、それに乗り換えて下さい」
前の座席に座って、丁寧にメモに書いて説明し、渡してくれました。
それからツヴァィジンメンに着くと、また同じ駅員さんが来ました。
「こちらにいらして下さい」
私は駅員さんの後に付いて行きました。
列車を降りて、次の列車に乗り換えました。
座席に座ると、駅員さんは言いました。
「この列車は38分に出発して、インターラーケンに向かいます。インターラーケンに着いたらグリンデルワルト行きの列車に乗り換えて下さい」
「分かりました。ありがとうございます」
乗り換えまで丁寧に誘導してくれました。
女性の駅員さんでした。
「う~ん、やっぱり親切だ。どうも親切だ。日本ならここまで親切にしてくれるだろうか?
最初不安に感じたのは、親切にされる事に慣れていないせいかもしれない。
普通あまり親切にされると、かえって警戒して構えてしまって、何か裏があるんじゃないか?と心配してしまうものだけど、親切にされることが当たり前になると、社会はもっと良くなるのだろうか?
日本では自覚はなかったけど、人を信用する事に慣れていなくて、人を疑うという事に慣れていたのかもしれない・・
それとも観光の国だからというだけなのだろうか?」
駅員さんが来ましたので、「すみません。グリンデルワルトへ行きたいんですけど、ツヴァィジンメンで乗り換えればいいですか?」と聞きました。
「そうです。ツヴァィジンメンで乗り換えて下さい」
「あっ、そうですか、ありがとうございます」
しばらく窓の外を眺めていると、また同じ駅員さんが来ました。
「いいですか?この列車はツヴァィジンメンに13時32分に止まります。そうしたらインターラーケン行きの列車が38分に出るので、それに乗り換えて下さい」
前の座席に座って、丁寧にメモに書いて説明し、渡してくれました。
それからツヴァィジンメンに着くと、また同じ駅員さんが来ました。
「こちらにいらして下さい」
私は駅員さんの後に付いて行きました。
列車を降りて、次の列車に乗り換えました。
座席に座ると、駅員さんは言いました。
「この列車は38分に出発して、インターラーケンに向かいます。インターラーケンに着いたらグリンデルワルト行きの列車に乗り換えて下さい」
「分かりました。ありがとうございます」
乗り換えまで丁寧に誘導してくれました。
女性の駅員さんでした。
「う~ん、やっぱり親切だ。どうも親切だ。日本ならここまで親切にしてくれるだろうか?
最初不安に感じたのは、親切にされる事に慣れていないせいかもしれない。
普通あまり親切にされると、かえって警戒して構えてしまって、何か裏があるんじゃないか?と心配してしまうものだけど、親切にされることが当たり前になると、社会はもっと良くなるのだろうか?
日本では自覚はなかったけど、人を信用する事に慣れていなくて、人を疑うという事に慣れていたのかもしれない・・
それとも観光の国だからというだけなのだろうか?」
旅行記 「アルプス物語 わたしのアンネット」の村ロシニエールを散策して
ロシニエール駅から、村の広場、時計塔、教会、学校と散策して、
「え~と、アニメに出て来る橋はどこなんだろう?」
あちこち見まわしましたが、橋は幾つもあったのですが、アニメの石造りの橋は見つかりませんでした。
村の人なのか、向こうから女性が1人、歩いて来ましたので、尋ねました。
「すみません。この辺に石造りの橋はありませんか?」
「石造りの橋? え~と、この道から向こうに向かって歩いて行くと、あそこに1つ、2つ、3つ橋があるわ。それから駅の反対側の、あの大きなツリーの近くに大きな橋があるわね」
「あっ、そうですか、ありがとうございます」
「あの大きなツリーの近く? う~ん、アニメと地理的に違うような・・
あーそうか駅はどこでも東口とか西口とかあるもんな。こっち側ばかり探してた・・駅の反対側に行ってみよう」
駅の反対側に行ってみると、アニメの踏み切りがありました。
「あっ、ここがルシエンが遊んでた踏み切りだ」
踏み切りを渡ってさらに歩いて行くと、アニメの石造りの橋がありました。
「あった、ここか・・この橋だ」
橋はアニメと若干違い、手すりがありました。
橋から遠くを眺めてみました。
「こうしてアンネットやルシエンは峠の向こうを眺めていたのかな?」
墓地もありました。
「この墓地がアンネットのお母さんが亡くなった時の墓地なのかな?」
ほかにアンネットとルシエンが、学校へ行く時に待ち合わせをしていた三叉路や、アンネットとルシエンの家、ペギン爺さんの小屋、ダニーが転落した谷など、全部は探せなかったので、次回また改めて来る事にしました。
あちこちに牛がいて放牧しており、カウベルの音がしていました。
あちこちに木造のシャレー風の建物がありました。
小さなサッカーゴールとサッカー場もありました。
村の広場のほかにも、幾つか泉がありました。
途中村の子供達に会いました。
駅に戻ると駅室の中に駅長さんらしき人がいました。
「あれ?無人駅のはずなんだけど、それとも駅員さんじゃないのかな?」と思いました。
列車の時刻表を見ていると、男性が1人と女性が1人、子供を連れて来ました。
英語で行き先を尋ねようとすると、「日本人の方ですか?」と聞かれました。
日本語でした。
「はい」と答えました。
「どちらへ行かれるんですか?」
「ツヴァィジンメンです」
その女性は駅の時刻表を見ながら、
「え~と、ツヴァィジンメンだと、〇〇分ですね。無人駅なのでボタンを押さないと止まらないんですよ」
そう言うと、その女性は赤いボタンを押しました。
「こちらに住んでるんですか?ここにはあまり日本人はいないのかな~と思って」と私が聞くと、
「はい、住んでます。住んでますと言うか、ロシニエールにペインターがいて、そのベビーシッターを頼まれてやってるんですけど・・〇〇と申します」
「あっそうなんですか」
列車が来ましたので、挨拶をして別れました。
「あっ、じゃあ、ありがとうございました」
「いえいえ、こちらこそ。気を付けて」
列車は青い列車でした。
ロシニエール村を後にして、ツヴァィジンメンへと向かいました。
「え~と、アニメに出て来る橋はどこなんだろう?」
あちこち見まわしましたが、橋は幾つもあったのですが、アニメの石造りの橋は見つかりませんでした。
村の人なのか、向こうから女性が1人、歩いて来ましたので、尋ねました。
「すみません。この辺に石造りの橋はありませんか?」
「石造りの橋? え~と、この道から向こうに向かって歩いて行くと、あそこに1つ、2つ、3つ橋があるわ。それから駅の反対側の、あの大きなツリーの近くに大きな橋があるわね」
「あっ、そうですか、ありがとうございます」
「あの大きなツリーの近く? う~ん、アニメと地理的に違うような・・
あーそうか駅はどこでも東口とか西口とかあるもんな。こっち側ばかり探してた・・駅の反対側に行ってみよう」
駅の反対側に行ってみると、アニメの踏み切りがありました。
「あっ、ここがルシエンが遊んでた踏み切りだ」
踏み切りを渡ってさらに歩いて行くと、アニメの石造りの橋がありました。
「あった、ここか・・この橋だ」
橋はアニメと若干違い、手すりがありました。
橋から遠くを眺めてみました。
「こうしてアンネットやルシエンは峠の向こうを眺めていたのかな?」
墓地もありました。
「この墓地がアンネットのお母さんが亡くなった時の墓地なのかな?」
ほかにアンネットとルシエンが、学校へ行く時に待ち合わせをしていた三叉路や、アンネットとルシエンの家、ペギン爺さんの小屋、ダニーが転落した谷など、全部は探せなかったので、次回また改めて来る事にしました。
あちこちに牛がいて放牧しており、カウベルの音がしていました。
あちこちに木造のシャレー風の建物がありました。
小さなサッカーゴールとサッカー場もありました。
村の広場のほかにも、幾つか泉がありました。
途中村の子供達に会いました。
駅に戻ると駅室の中に駅長さんらしき人がいました。
「あれ?無人駅のはずなんだけど、それとも駅員さんじゃないのかな?」と思いました。
列車の時刻表を見ていると、男性が1人と女性が1人、子供を連れて来ました。
英語で行き先を尋ねようとすると、「日本人の方ですか?」と聞かれました。
日本語でした。
「はい」と答えました。
「どちらへ行かれるんですか?」
「ツヴァィジンメンです」
その女性は駅の時刻表を見ながら、
「え~と、ツヴァィジンメンだと、〇〇分ですね。無人駅なのでボタンを押さないと止まらないんですよ」
そう言うと、その女性は赤いボタンを押しました。
「こちらに住んでるんですか?ここにはあまり日本人はいないのかな~と思って」と私が聞くと、
「はい、住んでます。住んでますと言うか、ロシニエールにペインターがいて、そのベビーシッターを頼まれてやってるんですけど・・〇〇と申します」
「あっそうなんですか」
列車が来ましたので、挨拶をして別れました。
「あっ、じゃあ、ありがとうございました」
「いえいえ、こちらこそ。気を付けて」
列車は青い列車でした。
ロシニエール村を後にして、ツヴァィジンメンへと向かいました。
旅行記 「アルプス物語 わたしのアンネット」の村ロシニエールを散策して
列車を降りてから、道案内をしてくれた女の子に手を振りました。
「いろいろありがとうございます」
「いいえ、どういたしまして。気を付けて」
ロシニエールはシャトー・デーのすぐ隣にあります。
人口はどの位なのか分からないのですが、本当に小さな村です。
普通の地図帳にはまず載っていませんとの事でした。
私がこの村を訪れたのには理由がありました。
1983年、日本でアニメ化された「アルプス物語 わたしのアンネット」という物語の舞台となった村なのです。
原作は「雪のたから」と言って、イギリスの女流作家、パトリシア・セントジョンという方が書いた物語で、欧米では映画化もされている作品だと聞いています。
原作の前書きによると、作者は幼少時代にロシニエール村に住み、その時の体験をもとに物語を書いたとの事です。
いつか行こうと思っていたのですが、今回スイスを旅行するにあたり、ロシニエール村も散策する事にしていました。今回のスイス旅行の目的の1つでもあったのです。
幼少の頃、リアルタイムでアニメを観て、原作も読み、実際に物語の舞台である現地を訪問出来るという事がとても嬉しかったのです。
駅はアニメの通りでした。
駅を見た時、アニメの第47話の「足の治ったダニーが、元気よく両腕を振って、列車から飛び降りるシーン」が思い浮かびました。
駅にはロシニエール村の案内図、全体図が掲示してありました。
駅の案内板で村の全体図を把握してから歩きました。
駅を背にして、まっすぐに歩いて行くと、T字路にぶつかりましたのでそこを左折、さらに歩いて行くと、また道にぶつかりましたので右折、そしてまっすぐ歩いて行くと、村の広場がありました。
ここは1話にも出て来る村の広場で、真ん中には泉があって、ここもアニメの通りでした。
アニメで描かれている泉の屋根は、現在は取り払われているようでした。
広場では男の人が2人、噴水機のような大きなホースを使って、水で広場の泥を洗い流していました。
村の広場にはこれもアニメのままで、手すりの付いた階段があり、その階段を登って行くと、左側に白い時計塔がありました。この時計塔もアニメの通りでした。
時計塔からさらに歩いて行くと、これもアニメの通りで、教会がありました。
教会の外観は、アニメと全く同じでした。
教会のすぐ近くには、アンネットたちが通っていた学校があり、これもアニメのままでした。
ただ学校は、建て増しされたのか、建物が2つありました。
ブランコ、すべり台、シーソーがありました。
教会の敷地内に入ってみると入口があり、扉が開きましたので中に入りました。
教会の中に入ってみると、教会の中もアニメの通りでした。
「アニメと全く同じだ」と思いました。
牧師さんの説教台の形も位置も、全体の造りも、アニメと全く同じでした。
ルシエンのお姉さんのマリーが結婚式を挙げた教会です。
セントジョンもアンネットとルシエンと同じように、クリスマスにはこの教会で、しょうがパンを貰っていたのでしょうか?
「この教会はプロテスタントかな?カトリックかな?どっちだろう?」と思いましたが、原作者がたぶんプロテスタントの宣教師だったように記憶しているので、「教会の中の雰囲気や中の造りからすると、たぶんプロテスタントの教会かな?」と思いました。
「毎週日曜日には、村の人たちは教会に行っているのかな?」と思いました。
教会の外に出て良く見ると、教会の入口の近くの窓と窓の間に、ロシニエール村の日時計がありました。
「いろいろありがとうございます」
「いいえ、どういたしまして。気を付けて」
ロシニエールはシャトー・デーのすぐ隣にあります。
人口はどの位なのか分からないのですが、本当に小さな村です。
普通の地図帳にはまず載っていませんとの事でした。
私がこの村を訪れたのには理由がありました。
1983年、日本でアニメ化された「アルプス物語 わたしのアンネット」という物語の舞台となった村なのです。
原作は「雪のたから」と言って、イギリスの女流作家、パトリシア・セントジョンという方が書いた物語で、欧米では映画化もされている作品だと聞いています。
原作の前書きによると、作者は幼少時代にロシニエール村に住み、その時の体験をもとに物語を書いたとの事です。
いつか行こうと思っていたのですが、今回スイスを旅行するにあたり、ロシニエール村も散策する事にしていました。今回のスイス旅行の目的の1つでもあったのです。
幼少の頃、リアルタイムでアニメを観て、原作も読み、実際に物語の舞台である現地を訪問出来るという事がとても嬉しかったのです。
駅はアニメの通りでした。
駅を見た時、アニメの第47話の「足の治ったダニーが、元気よく両腕を振って、列車から飛び降りるシーン」が思い浮かびました。
駅にはロシニエール村の案内図、全体図が掲示してありました。
駅の案内板で村の全体図を把握してから歩きました。
駅を背にして、まっすぐに歩いて行くと、T字路にぶつかりましたのでそこを左折、さらに歩いて行くと、また道にぶつかりましたので右折、そしてまっすぐ歩いて行くと、村の広場がありました。
ここは1話にも出て来る村の広場で、真ん中には泉があって、ここもアニメの通りでした。
アニメで描かれている泉の屋根は、現在は取り払われているようでした。
広場では男の人が2人、噴水機のような大きなホースを使って、水で広場の泥を洗い流していました。
村の広場にはこれもアニメのままで、手すりの付いた階段があり、その階段を登って行くと、左側に白い時計塔がありました。この時計塔もアニメの通りでした。
時計塔からさらに歩いて行くと、これもアニメの通りで、教会がありました。
教会の外観は、アニメと全く同じでした。
教会のすぐ近くには、アンネットたちが通っていた学校があり、これもアニメのままでした。
ただ学校は、建て増しされたのか、建物が2つありました。
ブランコ、すべり台、シーソーがありました。
教会の敷地内に入ってみると入口があり、扉が開きましたので中に入りました。
教会の中に入ってみると、教会の中もアニメの通りでした。
「アニメと全く同じだ」と思いました。
牧師さんの説教台の形も位置も、全体の造りも、アニメと全く同じでした。
ルシエンのお姉さんのマリーが結婚式を挙げた教会です。
セントジョンもアンネットとルシエンと同じように、クリスマスにはこの教会で、しょうがパンを貰っていたのでしょうか?
「この教会はプロテスタントかな?カトリックかな?どっちだろう?」と思いましたが、原作者がたぶんプロテスタントの宣教師だったように記憶しているので、「教会の中の雰囲気や中の造りからすると、たぶんプロテスタントの教会かな?」と思いました。
「毎週日曜日には、村の人たちは教会に行っているのかな?」と思いました。
教会の外に出て良く見ると、教会の入口の近くの窓と窓の間に、ロシニエール村の日時計がありました。
旅行記 「アルプス物語 わたしのアンネット」の村ロシニエールへ
ベルン中央駅からツヴァィジンメン行きの列車に乗りました。
列車に乗って席に腰を下ろすと、列車のドア付近で賑やかな声が聞こえました。
先生らしき男性が1人と、子供たちが何人も乗って来ました。学生のようでした。
ツヴァィジンメンへは約1時間ほどで着きました。
ツヴァィジンメンで乗り換えて、ロシニエールを経由する列車に乗りました。
ロシニエールは現在無人駅で、リクエストしないと通り過ぎてしまう事もあるとの事でした。
列車に乗り、入口付近で、「んーロシニエール行きは本当にこの列車でいいのかな?」と思い、駅員さんに確認しようと思っていると、先ほどの学生たちが入って来ました。
一番最後に入って来た女の子が、私を見て「どうかされましたか?」と尋ねてきました。
私は「この列車はロシニエールに行きますか?」と尋ねました。
彼女は、「ロシニエール? うーん、ちょっと来て」と言って、列車を降りました。
私はその女の子の後を付いて行きました。
「すみません、この列車はロシニエールに行きますか?」
「ああ、通るよ。誰か降りる人がいるんだね? ロシニエール駅で止めるよ」
女の子が一番前の運転席にいる駅員さんに確認してくれました。
その後また列車にのり、「私達も同じ方向へ行くので、良かったら一緒に行きましょう。途中ご案内しますよ。ロシニエールに着いたらお教えします」と言ってくれました。
私に声を掛けてくれた女の子は、向かい側の席に座ったのですが、途中何度も私の方に目をやって、「まだまだ、ずっと先です。ロシニエールまではかなり長いですから、ゆっくりしていて大丈夫です。近くなりましたらお教えします」と言ってくれました。
「ベルン中央駅の男性、女性といい、この女の子といい、観光の国だからなのかな? 声を掛け慣れてるようだし、フレンドリーで親切だ。これがスイス・ホスピタリティーなのだろうか?」と思いました。
ロシニエールまでは1時間ほど掛かりました。
ロシニエール駅に着くと、私はその女の子と、先生や学生たちに「本当にありがとう」と、何度もお礼を言いながら、列車を降りました。
列車に乗って席に腰を下ろすと、列車のドア付近で賑やかな声が聞こえました。
先生らしき男性が1人と、子供たちが何人も乗って来ました。学生のようでした。
ツヴァィジンメンへは約1時間ほどで着きました。
ツヴァィジンメンで乗り換えて、ロシニエールを経由する列車に乗りました。
ロシニエールは現在無人駅で、リクエストしないと通り過ぎてしまう事もあるとの事でした。
列車に乗り、入口付近で、「んーロシニエール行きは本当にこの列車でいいのかな?」と思い、駅員さんに確認しようと思っていると、先ほどの学生たちが入って来ました。
一番最後に入って来た女の子が、私を見て「どうかされましたか?」と尋ねてきました。
私は「この列車はロシニエールに行きますか?」と尋ねました。
彼女は、「ロシニエール? うーん、ちょっと来て」と言って、列車を降りました。
私はその女の子の後を付いて行きました。
「すみません、この列車はロシニエールに行きますか?」
「ああ、通るよ。誰か降りる人がいるんだね? ロシニエール駅で止めるよ」
女の子が一番前の運転席にいる駅員さんに確認してくれました。
その後また列車にのり、「私達も同じ方向へ行くので、良かったら一緒に行きましょう。途中ご案内しますよ。ロシニエールに着いたらお教えします」と言ってくれました。
私に声を掛けてくれた女の子は、向かい側の席に座ったのですが、途中何度も私の方に目をやって、「まだまだ、ずっと先です。ロシニエールまではかなり長いですから、ゆっくりしていて大丈夫です。近くなりましたらお教えします」と言ってくれました。
「ベルン中央駅の男性、女性といい、この女の子といい、観光の国だからなのかな? 声を掛け慣れてるようだし、フレンドリーで親切だ。これがスイス・ホスピタリティーなのだろうか?」と思いました。
ロシニエールまでは1時間ほど掛かりました。
ロシニエール駅に着くと、私はその女の子と、先生や学生たちに「本当にありがとう」と、何度もお礼を言いながら、列車を降りました。
旅行記 首都ベルンから「アルプス物語 わたしのアンネット」の村ロシニエールへ
ベルン市街を散策して歩き疲れたので、夜はぐっすり眠ってしまいました。
翌朝ホテルで朝食を済ませ、チェックアウトし、ベルン中央駅へ向かいました。
ホテルの受付の方に挨拶をして、ホテルを出ました。
Auf Wiedersehen!(さようなら)
Tschuess!(さようなら)
地図を片手に歩いていると、ベルン中央駅に向かう途中で、女性に声を掛けられました。
おそらく観光客に見えたのだと思います。
「どうかしましたか?」
「あっ、いえ、ベルン中央駅に行きたいんですけど」
「あっ、そう、ベルン中央駅はね・・」
そこにもう1人、男性もやって来ました。
「あっ、ちょうど良いところに来たわ。道が分からないらしいの、案内してあげて」
男性は私に聞きました。
「どこに行きたいの?」
「ベルン中央駅です」
「ベルン中央駅か、じゃあ、着いて来て」
「じゃあ、お願いね」 女性はそう言うと、ほかの道を歩いて行きました。
「君は日本人かい?」
「はい」
「日本は何度も行った事があるよ」
「あっ、そうですか、日本のどちらに?」
「東京、横浜、名古屋、福岡、札幌・・7回行ってるんだ」
「そんなに!? お仕事ですか?」
「うん、仕事もだけど遊びも兼ねてかな」
「君は何しにスイスに来たの?仕事?」
「いえ、観光です」
(ずいぶん話し慣れてる感じだし、親切だけど何か不安だな・・騙されてお金でも取られるんじゃないかな?さっきの女性と知り合いなのかな?)
「ベルン中央駅からはどこへ行くの?」
「ロシニエールです」
「ロシニエール?ロシニエールか・・ずいぶん観光客が行かないような所に行くんだね?」
それから駅の案内所に入り、彼は駅員と行き方を話しているようでした。
「あのね、ツヴァィジンメンで乗り換えれば一番早いよ」
「ローザンヌとモントルーを経由して行こうと思ってたんですけど」
「それじゃあ時間も掛かるし遠回りだよ。ツヴァィジンメンで乗り換えた方が早い」
駅の電光掲示板を見て、彼は言いました。
「俺も日本人には世話になってんだ。だからこうして、困ってる日本人を見掛けると案内役をしてるってわけ。じゃあ、気を付けてね」
そう言って手を振ると、彼は駅のホームへ去って行きました。
「そういう事だったのか」
ずいぶん親切だったので、騙されてお金でも取られるんじゃないかと心配しましたが、どうやら本当の善意だったようです。
列車からローザンヌとモントルーの街を眺めながら行きたかったのですが、予定を変更して、ツヴァィジンメンを経由して、ロシニエールに行く事にしました。
翌朝ホテルで朝食を済ませ、チェックアウトし、ベルン中央駅へ向かいました。
ホテルの受付の方に挨拶をして、ホテルを出ました。
Auf Wiedersehen!(さようなら)
Tschuess!(さようなら)
地図を片手に歩いていると、ベルン中央駅に向かう途中で、女性に声を掛けられました。
おそらく観光客に見えたのだと思います。
「どうかしましたか?」
「あっ、いえ、ベルン中央駅に行きたいんですけど」
「あっ、そう、ベルン中央駅はね・・」
そこにもう1人、男性もやって来ました。
「あっ、ちょうど良いところに来たわ。道が分からないらしいの、案内してあげて」
男性は私に聞きました。
「どこに行きたいの?」
「ベルン中央駅です」
「ベルン中央駅か、じゃあ、着いて来て」
「じゃあ、お願いね」 女性はそう言うと、ほかの道を歩いて行きました。
「君は日本人かい?」
「はい」
「日本は何度も行った事があるよ」
「あっ、そうですか、日本のどちらに?」
「東京、横浜、名古屋、福岡、札幌・・7回行ってるんだ」
「そんなに!? お仕事ですか?」
「うん、仕事もだけど遊びも兼ねてかな」
「君は何しにスイスに来たの?仕事?」
「いえ、観光です」
(ずいぶん話し慣れてる感じだし、親切だけど何か不安だな・・騙されてお金でも取られるんじゃないかな?さっきの女性と知り合いなのかな?)
「ベルン中央駅からはどこへ行くの?」
「ロシニエールです」
「ロシニエール?ロシニエールか・・ずいぶん観光客が行かないような所に行くんだね?」
それから駅の案内所に入り、彼は駅員と行き方を話しているようでした。
「あのね、ツヴァィジンメンで乗り換えれば一番早いよ」
「ローザンヌとモントルーを経由して行こうと思ってたんですけど」
「それじゃあ時間も掛かるし遠回りだよ。ツヴァィジンメンで乗り換えた方が早い」
駅の電光掲示板を見て、彼は言いました。
「俺も日本人には世話になってんだ。だからこうして、困ってる日本人を見掛けると案内役をしてるってわけ。じゃあ、気を付けてね」
そう言って手を振ると、彼は駅のホームへ去って行きました。
「そういう事だったのか」
ずいぶん親切だったので、騙されてお金でも取られるんじゃないかと心配しましたが、どうやら本当の善意だったようです。
列車からローザンヌとモントルーの街を眺めながら行きたかったのですが、予定を変更して、ツヴァィジンメンを経由して、ロシニエールに行く事にしました。
旅行記 世界遺産の街ベルン ニーデック橋と熊公園にて
ニーデック橋を渡り、熊公園に向かいました。
右に曲がって石畳の道を歩いて行くと、途中で気が付いたのですが、その石畳の道には1つ1つの石に名前が書いてありました。
そこから下に向かって階段を降りて行くと、熊公園でした。
川沿いに小道があり、川沿いではたくさんの人がくつろいでいました。
小さな街でしたが、あちこち歩いたので、汗びっしょりでした。
ふだん歩いていないので、歩き疲れてクタクタでした。
道の両側のアーケードからは、テラス席が出て、にぎやかになり始めました。
テラス席では、食事をしたり、お茶や談笑、打ち合わせをしたり、お酒を飲んでいる人もいました。
「そろそろ食事を済ませてホテルに戻ろう。その前にもう一度時計塔を写真に撮ってから食事にしよう」と思い、時計塔を探したのですが、街はどこも同じような建物と同じような道、同じような色、同じような景観でしたので、迷ってしまいました。
「あれ?時計塔どこだっけ?」
フードコートの店員さんに「こんにちは。日本から来ました。時計塔はどの当たりでしょうか?」と尋ねると、親切に教えてくれました。
時計塔の写真を撮ってから、ホテルの隣のレストランに入りました。
パスタとソフトドリンク、炭酸なしの水を頼みました。
のどが渇いていたので、ソフトドリンクと水は一息に飲み干しました。
食事を摂っていると、外で大きな音がしたので見てみると、スイスの民族衣装を着た男女が集まって大道芸か何かのパフォーマンスをしていました。
男性は両手を使わずに両足だけで、何度も連続して「前方宙返り」をしていました。
凄いと思い、感心してずっと見ていました。
ベルンはスイスの首都で、歴史のある街だと聞いていましたので、前から行ってみたかったのです。
初めてアーレ川を見た時は、ガイドブックにあった通り、本当に緑色だったので、びっくりしました。
それも街と調和して、美しい緑色でした。
青いアーレ川も見ましたので、「アーレ川が緑色なのは、緑が多いからかな?たぶんそうだね。きっとそうだ」と思いました。
バラ公園は時間がなくて行けませんでしたので、次回また行こうと思います。
右に曲がって石畳の道を歩いて行くと、途中で気が付いたのですが、その石畳の道には1つ1つの石に名前が書いてありました。
そこから下に向かって階段を降りて行くと、熊公園でした。
川沿いに小道があり、川沿いではたくさんの人がくつろいでいました。
小さな街でしたが、あちこち歩いたので、汗びっしょりでした。
ふだん歩いていないので、歩き疲れてクタクタでした。
道の両側のアーケードからは、テラス席が出て、にぎやかになり始めました。
テラス席では、食事をしたり、お茶や談笑、打ち合わせをしたり、お酒を飲んでいる人もいました。
「そろそろ食事を済ませてホテルに戻ろう。その前にもう一度時計塔を写真に撮ってから食事にしよう」と思い、時計塔を探したのですが、街はどこも同じような建物と同じような道、同じような色、同じような景観でしたので、迷ってしまいました。
「あれ?時計塔どこだっけ?」
フードコートの店員さんに「こんにちは。日本から来ました。時計塔はどの当たりでしょうか?」と尋ねると、親切に教えてくれました。
時計塔の写真を撮ってから、ホテルの隣のレストランに入りました。
パスタとソフトドリンク、炭酸なしの水を頼みました。
のどが渇いていたので、ソフトドリンクと水は一息に飲み干しました。
食事を摂っていると、外で大きな音がしたので見てみると、スイスの民族衣装を着た男女が集まって大道芸か何かのパフォーマンスをしていました。
男性は両手を使わずに両足だけで、何度も連続して「前方宙返り」をしていました。
凄いと思い、感心してずっと見ていました。
ベルンはスイスの首都で、歴史のある街だと聞いていましたので、前から行ってみたかったのです。
初めてアーレ川を見た時は、ガイドブックにあった通り、本当に緑色だったので、びっくりしました。
それも街と調和して、美しい緑色でした。
青いアーレ川も見ましたので、「アーレ川が緑色なのは、緑が多いからかな?たぶんそうだね。きっとそうだ」と思いました。
バラ公園は時間がなくて行けませんでしたので、次回また行こうと思います。
旅行記 噴水の街ベルンを散策して 美しいアーレ川と旧市街
機内からチューリッヒ空港内に移動する時も暑かったですが、ベルンもとても暑かったです。
日が長く、夜の22時頃まで外は明るくて、ゆっくりと散策出来ました。
ホテルを出て、石畳の街を歩いて行くと、フードコートの建物があり、その建物は食事やお茶をしたり、歩行者が通り抜けられるようになっていて、そこを通り過ぎると、左側には高架橋があり、大通りでした。
高架橋は石畳ではなく、普通の道路で、路面電車や大型の車や普通車が走っていました。
高架橋の歩道を少し歩いてから、橋の上から街を見たのですが、たくさんの緑に囲まれた美しいアーレ川と旧市街が見れました。
ガイドブックによると、その高架橋は「コルンハウス橋」のようです。
市街では路面電車や大型の車や普通車が頻繁に走っていました。
路面電車は真っ赤なもの、赤と青の2色、白1色のものを見掛けました。
写真や散策、観光に夢中になって路面電車や車にひかれないように気を付けました。
「ここがベルンの街か・・」
シュピタル通り、マルクト通り、クラム通り、バーンホフ広場、べーレン広場、ブンデス広場、ミュンスター広場、あちこちに通りがあり、広場がありました。
またあちこちに橋と綺麗な花で飾られた噴水がありました。
噴水は全部は見れませんでしたが、主なものは見れました。
バグパイプ吹きの噴水、アンナ・ライザーの噴水、子供食いの噴水、ツェーリンゲンの噴水、サムソンの噴水、モーゼの噴水、射撃手の噴水、正義の女神の噴水・・見れたのはこれだけでしたが、他にも色々あるようです。
後で知ったのですが、ベルンは「噴水の街」とも呼ばれていて、噴水を見るためだけに観光に訪れる人もいるとの事でした。
歩き疲れたので途中、噴水で休憩しました。
人が噴水の水を飲んでいたように記憶しているのですが、ガイドブックによると噴水の水は飲めるようです。
私は飲みませんでしたが、手を噴水の中に入れてみました。とても冷たくて気持ち良かったです。
名前の付いた人の像の噴水はたくさんありましたが、普通の噴水も幾つか見掛けました。
教会も幾つかありました。
入れる所と、戸が閉まっていて入れない所がありました。
ほかに時計塔、大聖堂(ミュンスター)、熊公園等を見学しました。
あとで気付いたのですが、夏の間だけなのかもしれませんが、スイスはどこへ行っても日が長く、夜の22時頃までは明るいのです。
ですから気付いたら夜になっていて、外は明るいけれどもお店は閉まっていたという事のないように気を付けました。
旧市街はU字型に湾曲して流れるアーレ川に囲まれていて、街中が石造りの建物と石畳の道で、建物の屋根は赤茶色、アーレ川は緑色でした。
道の両側はアーケードで、旗がたくさん飾られていました。
日が長く、夜の22時頃まで外は明るくて、ゆっくりと散策出来ました。
ホテルを出て、石畳の街を歩いて行くと、フードコートの建物があり、その建物は食事やお茶をしたり、歩行者が通り抜けられるようになっていて、そこを通り過ぎると、左側には高架橋があり、大通りでした。
高架橋は石畳ではなく、普通の道路で、路面電車や大型の車や普通車が走っていました。
高架橋の歩道を少し歩いてから、橋の上から街を見たのですが、たくさんの緑に囲まれた美しいアーレ川と旧市街が見れました。
ガイドブックによると、その高架橋は「コルンハウス橋」のようです。
市街では路面電車や大型の車や普通車が頻繁に走っていました。
路面電車は真っ赤なもの、赤と青の2色、白1色のものを見掛けました。
写真や散策、観光に夢中になって路面電車や車にひかれないように気を付けました。
「ここがベルンの街か・・」
シュピタル通り、マルクト通り、クラム通り、バーンホフ広場、べーレン広場、ブンデス広場、ミュンスター広場、あちこちに通りがあり、広場がありました。
またあちこちに橋と綺麗な花で飾られた噴水がありました。
噴水は全部は見れませんでしたが、主なものは見れました。
バグパイプ吹きの噴水、アンナ・ライザーの噴水、子供食いの噴水、ツェーリンゲンの噴水、サムソンの噴水、モーゼの噴水、射撃手の噴水、正義の女神の噴水・・見れたのはこれだけでしたが、他にも色々あるようです。
後で知ったのですが、ベルンは「噴水の街」とも呼ばれていて、噴水を見るためだけに観光に訪れる人もいるとの事でした。
歩き疲れたので途中、噴水で休憩しました。
人が噴水の水を飲んでいたように記憶しているのですが、ガイドブックによると噴水の水は飲めるようです。
私は飲みませんでしたが、手を噴水の中に入れてみました。とても冷たくて気持ち良かったです。
名前の付いた人の像の噴水はたくさんありましたが、普通の噴水も幾つか見掛けました。
教会も幾つかありました。
入れる所と、戸が閉まっていて入れない所がありました。
ほかに時計塔、大聖堂(ミュンスター)、熊公園等を見学しました。
あとで気付いたのですが、夏の間だけなのかもしれませんが、スイスはどこへ行っても日が長く、夜の22時頃までは明るいのです。
ですから気付いたら夜になっていて、外は明るいけれどもお店は閉まっていたという事のないように気を付けました。
旧市街はU字型に湾曲して流れるアーレ川に囲まれていて、街中が石造りの建物と石畳の道で、建物の屋根は赤茶色、アーレ川は緑色でした。
道の両側はアーケードで、旗がたくさん飾られていました。
旅行記 チューリッヒ空港から首都ベルンへ
だんだんスイスに近付くにつれ、スイスの山々や街並みらしき風景が、飛行機の中から、雲の間から見えました。
成田空港からチューリッヒ空港へ出発した飛行機は、行きは約11時間50分で、時差はマイナス8時間、スイス時間で15時50分に、ほぼ予定通りにチューリッヒ空港へ到着しました。
機内から空港内へ移動する通路に出ると、「ん?暑い」と思いました。
「思ったよりも意外に暑い。日本よりも暑いかもしれない」と思いました。
チューリッヒ空港に到着して入国手続き後、チューリッヒ空港駅からチューリッヒ中央駅に電車で移動しました。わずか5分ほどでした。
日本を立つ前に、知人からチューリッヒは、最近治安が悪くなっているので、気を付けて下さいとの事でしたので、列車に乗る時や移動時、その他も、貴重品など十分に気を付けました。
チューリッヒ中央駅から列車は2等車に乗り、スイスの首都ベルンへ向かいました。
スイスの列車は日本と違い、発車のベルや駅員さんの合図はありませんでした。
時間になるとそのまま出発してしまうのです。
列車の座席も1階と2階の造りになっていました。
チューリッヒ中央駅から首都ベルンへは、約1時間ほどで着きました。
チューリッヒ中央駅付近か、ベルン中央駅付近で夕食を摂ろうとも思いましたが、ホテルでチェックインを済ませ、一息付いてから、ベルン市街を散策しながら、夕食を摂る事にしました。
予約してあったホテルに行き、チェックインを済ませ、部屋に入り、シャワーを浴び、一息付いてから、散策に出掛けました。
ベルンはチューリッヒ、ジュネーヴ、バーゼル、ローザンヌに次ぐスイス5番目の大都市。
スイスの首都でもあり、ベルン州の州都でもあり、世界遺産に登録された街でもあります。
スイスで最も古い街の1つであるベルンは、ツェーリンゲン家によって、1191年から街造りが始まったと言われています。
成田空港からチューリッヒ空港へ出発した飛行機は、行きは約11時間50分で、時差はマイナス8時間、スイス時間で15時50分に、ほぼ予定通りにチューリッヒ空港へ到着しました。
機内から空港内へ移動する通路に出ると、「ん?暑い」と思いました。
「思ったよりも意外に暑い。日本よりも暑いかもしれない」と思いました。
チューリッヒ空港に到着して入国手続き後、チューリッヒ空港駅からチューリッヒ中央駅に電車で移動しました。わずか5分ほどでした。
日本を立つ前に、知人からチューリッヒは、最近治安が悪くなっているので、気を付けて下さいとの事でしたので、列車に乗る時や移動時、その他も、貴重品など十分に気を付けました。
チューリッヒ中央駅から列車は2等車に乗り、スイスの首都ベルンへ向かいました。
スイスの列車は日本と違い、発車のベルや駅員さんの合図はありませんでした。
時間になるとそのまま出発してしまうのです。
列車の座席も1階と2階の造りになっていました。
チューリッヒ中央駅から首都ベルンへは、約1時間ほどで着きました。
チューリッヒ中央駅付近か、ベルン中央駅付近で夕食を摂ろうとも思いましたが、ホテルでチェックインを済ませ、一息付いてから、ベルン市街を散策しながら、夕食を摂る事にしました。
予約してあったホテルに行き、チェックインを済ませ、部屋に入り、シャワーを浴び、一息付いてから、散策に出掛けました。
ベルンはチューリッヒ、ジュネーヴ、バーゼル、ローザンヌに次ぐスイス5番目の大都市。
スイスの首都でもあり、ベルン州の州都でもあり、世界遺産に登録された街でもあります。
スイスで最も古い街の1つであるベルンは、ツェーリンゲン家によって、1191年から街造りが始まったと言われています。
旅行記 成田空港からチューリッヒ空港へ
6月中旬から約2週間、久し振りにスイスへ旅行に行きました。
成田空港を立つ前日は、予約した成田空港付近のホテルに一泊しました。
当日は飛行機が成田空港を飛ぶのが午前10時20分だったため、出国手続き等を考えると、空港付近のホテルに泊まり、翌日すぐに空港に向かえる方が移動が楽だと思ったのです。
ホテルには空港付近のホテルですから当然ですが、外国人がたくさん泊まっていました。
翌日はホテルで朝食を済ませ、宿泊したホテルと成田空港を往復しているバスに乗り、成田空港に向かいました。
スーツケースはスイスへ先送りにし、パスポート審査、税関等、出国手続きを終え、予備にペットボトルを数本買いました。スイスまでのフライトは約12時間、長いからです。
飛行機に乗る前に、「これから飛行機に乗るから、気を付けて行って来るね。スイスに着いたら、またホテルからでも電話するよ」と家族に電話をして、飛行機に乗りました。
午前10時20分、成田空港を離陸、スイス航空はチューリッヒへ向けて、出発しました。
久し振りの旅行でしたが、旅行に関しては特に不安はありませんでした。
個人旅行でたった1人でしたが、それでもスイスの地理はある程度頭に入っているせいか、スイスに行ってからの不安というのは、本当にありませんでした。
他の国なら違ったと思うのですが、スイスは違ったのです。
向こうに行ってからというよりも、もっと心配だったのは「飛行機が落ちないか」という事でした。
海外に行く時は、いつもそれが心配なのです。
海外に行くには、飛行機に乗る事は仕方がないのですが、やはり「絶対に安心」という事はないため、乗ってしまえば飛行機に委ねるしかないのですが、やはりそれが一番の心配事でした。
これが近い国で、数時間で着く国なら、そんなに不安は無いと思うのですが、なにしろ12時間ですから、飛行機は乗ったら降りられませんからね(笑)
と言っても「12時間」ですから、寝ている間に着いてしまいます。
飛行機の中では、機内食を食べ、ワインを飲んで、スイスのガイドブックを読んだり、機内のフライト案内を見たり、窓の外を眺めたりして過ごし、あとは寝ていました。
窓の外を眺めていても、当然ですが雲と空しか見えません。それも雲の上ですから、ずっと同じ景色です。窓の外は昼なのか夜なのかも分からず、時には飛行機が動かず止まっているようにも感じます。キャビンアテンダントさんが来ましたので、私は尋ねました。
「あの~」
「はい」
「あの白い綿菓子みたいなのは何ですか?」
「あっ、あれは雲でございます」
「あっ、そうなんですか、それから・・」
「はい」
「飛行機が揺れてますけど地震じゃないんですか?」
「・・・・・・・・・・・・」
成田空港を立つ前日は、予約した成田空港付近のホテルに一泊しました。
当日は飛行機が成田空港を飛ぶのが午前10時20分だったため、出国手続き等を考えると、空港付近のホテルに泊まり、翌日すぐに空港に向かえる方が移動が楽だと思ったのです。
ホテルには空港付近のホテルですから当然ですが、外国人がたくさん泊まっていました。
翌日はホテルで朝食を済ませ、宿泊したホテルと成田空港を往復しているバスに乗り、成田空港に向かいました。
スーツケースはスイスへ先送りにし、パスポート審査、税関等、出国手続きを終え、予備にペットボトルを数本買いました。スイスまでのフライトは約12時間、長いからです。
飛行機に乗る前に、「これから飛行機に乗るから、気を付けて行って来るね。スイスに着いたら、またホテルからでも電話するよ」と家族に電話をして、飛行機に乗りました。
午前10時20分、成田空港を離陸、スイス航空はチューリッヒへ向けて、出発しました。
久し振りの旅行でしたが、旅行に関しては特に不安はありませんでした。
個人旅行でたった1人でしたが、それでもスイスの地理はある程度頭に入っているせいか、スイスに行ってからの不安というのは、本当にありませんでした。
他の国なら違ったと思うのですが、スイスは違ったのです。
向こうに行ってからというよりも、もっと心配だったのは「飛行機が落ちないか」という事でした。
海外に行く時は、いつもそれが心配なのです。
海外に行くには、飛行機に乗る事は仕方がないのですが、やはり「絶対に安心」という事はないため、乗ってしまえば飛行機に委ねるしかないのですが、やはりそれが一番の心配事でした。
これが近い国で、数時間で着く国なら、そんなに不安は無いと思うのですが、なにしろ12時間ですから、飛行機は乗ったら降りられませんからね(笑)
と言っても「12時間」ですから、寝ている間に着いてしまいます。
飛行機の中では、機内食を食べ、ワインを飲んで、スイスのガイドブックを読んだり、機内のフライト案内を見たり、窓の外を眺めたりして過ごし、あとは寝ていました。
窓の外を眺めていても、当然ですが雲と空しか見えません。それも雲の上ですから、ずっと同じ景色です。窓の外は昼なのか夜なのかも分からず、時には飛行機が動かず止まっているようにも感じます。キャビンアテンダントさんが来ましたので、私は尋ねました。
「あの~」
「はい」
「あの白い綿菓子みたいなのは何ですか?」
「あっ、あれは雲でございます」
「あっ、そうなんですか、それから・・」
「はい」
「飛行機が揺れてますけど地震じゃないんですか?」
「・・・・・・・・・・・・」
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