グリンデルワルトに滞在中のホテルで、部屋にはベランダがあり、ベランダにはイスもあり、窓際からゆっくりと、景色を眺める事が出来ました。
スイスの夏は21時か22時頃まで明るく、22時以降に暗くなるのですが、散策を終えて夕食を取り、シャワーを浴びて一息ついた後に、改めて部屋の窓からグリンデルワルトの夜景を見ると、とても綺麗でした。
暗いので良く見えませんが、星は良く見る事が出来て、とても綺麗なのです。
グリンデルワルト滞在中に、毎日散策を終えて、部屋から眺めるグリンデルワルトの夜景は、とても綺麗でした。
空気がひんやりしていて、若干寒いのですが、星がキラキラまたたいていて、とても綺麗です。
正確に言うと、ホテルの部屋のベランダから、少しずつ暗くなっていき、山々と緑の野や丘、空や村に少しずつ影が差して、夕焼けがとても綺麗なのです。
散策して見学するのも楽しかったのですが、ほっと一息ついたホテルの部屋の窓から、夕暮れのグリンデルワルトを見ているのも、観光に来たという実感が湧いて、とても良かったです。
グリンデルワルトの夜は、シ~ンと静まり返っていて、本当に静寂という感じでした。
メンリッヘン展望台
翌朝、ホテルで朝食を摂ると、メンリッヘン展望台へ行きました。
グリンデルワルト駅から1つめの駅のグルント駅へ行き、そこから歩いてメンリッヘン行きのゴンドラ乗り場へ行きました。
グルント駅までは列車で約10分、ゴンドラ乗り場までは歩いて10分ほどでした。
ゴンドラは赤いゴンドラでした。
ゴンドラに乗ってメンリッヘンへは、約30分ほどでした。
ゴンドラの中から見える眼下や遠くの景色に圧倒されました。
幾つにも連なる山々や、山に掛かる白い雲、広く青い空、緑の野に草原や花々、雪や湖や川、森、丘の斜面には家が立ち並び、マーモットや鹿、放牧の牛も見えました。
ユングフラウ地域には、たくさんの展望台があるのですが、メンリッヘン展望台は一番人気のある展望台のようです。
展望台には草原が広がっており、あたり一面は綺麗な花畑が広がっていました。
たくさんの高山植物が咲いていました。
展望テラス、カフェやレストラン、ミニ遊園地などがり、ハンモックまでありました。
ウェンゲン行きのロープウェイ乗り場もあったのですが、今回は歩き疲れていたため、次回また行く事にしました。
メンリッヘン展望台から、また同じように、赤いゴンドラで約30分、メンリッヘン行きのゴンドラ乗り場へ戻って来ました。行きと同じように、帰りの景色も、とても凄かったです。
メンリッヘン行きのゴンドラ乗り場の周辺は、山々が連なり、丘の斜面に家々が立ち並び、駐車場になっているのか、アスファルトで舗装されており、かなり広かったです。
メンリッヘン行きのゴンドラ乗り場から歩いて約10分、グルント駅に戻りました。
グルント駅付近を歩いてみましたが、駅の近くに川が流れていていました。
私はグルント駅からグリンデルワルトへ戻りました。
グリンデルワルト駅から1つめの駅のグルント駅へ行き、そこから歩いてメンリッヘン行きのゴンドラ乗り場へ行きました。
グルント駅までは列車で約10分、ゴンドラ乗り場までは歩いて10分ほどでした。
ゴンドラは赤いゴンドラでした。
ゴンドラに乗ってメンリッヘンへは、約30分ほどでした。
ゴンドラの中から見える眼下や遠くの景色に圧倒されました。
幾つにも連なる山々や、山に掛かる白い雲、広く青い空、緑の野に草原や花々、雪や湖や川、森、丘の斜面には家が立ち並び、マーモットや鹿、放牧の牛も見えました。
ユングフラウ地域には、たくさんの展望台があるのですが、メンリッヘン展望台は一番人気のある展望台のようです。
展望台には草原が広がっており、あたり一面は綺麗な花畑が広がっていました。
たくさんの高山植物が咲いていました。
展望テラス、カフェやレストラン、ミニ遊園地などがり、ハンモックまでありました。
ウェンゲン行きのロープウェイ乗り場もあったのですが、今回は歩き疲れていたため、次回また行く事にしました。
メンリッヘン展望台から、また同じように、赤いゴンドラで約30分、メンリッヘン行きのゴンドラ乗り場へ戻って来ました。行きと同じように、帰りの景色も、とても凄かったです。
メンリッヘン行きのゴンドラ乗り場の周辺は、山々が連なり、丘の斜面に家々が立ち並び、駐車場になっているのか、アスファルトで舗装されており、かなり広かったです。
メンリッヘン行きのゴンドラ乗り場から歩いて約10分、グルント駅に戻りました。
グルント駅付近を歩いてみましたが、駅の近くに川が流れていていました。
私はグルント駅からグリンデルワルトへ戻りました。
グリンデルワルトにて ドルフ教会とエミール・シュトイリの墓
クライネ・シャイデックからグリンデルワルトに戻って来ました。
グリンデルワルトも、何十年も前と比べると、日本人の観光客も多く、雰囲気もだいぶ変わっているのだろうとは思います。
ただ宿泊先があるからなのかは分からないのですが、グリンデルワルトに来ると、なぜか気持ちが落ち着くのです。安心出来るのです。
駅前は工事をしていました。
駅前の大通りはハウプト通りと言い、村のメインストリートです。
グリンデルワルト駅を降りて、駅前の大通りをまっすぐ、どこまでも歩いて行きました。
教会へ行くためです。
教会の名前はドルフ教会と言います。
この辺りの通りは、ドルフ通りと言うようでした。
この教会は、ラウターブルンネンのシュタウプバッハの前にある教会と同じで、ガイドブックや写真集で何度も見掛けていた事もあり、一度訪れてみたかったのです。
また教会内の墓地に、新田次郎のエッセイ「アルプスの谷 アルプスの村」に登場するグリンデルワルトのホテル・ベルビューの名山岳ガイド、エミール・シュトイリ氏のお墓があるという事でした。
教会内の敷地に入り、入り口の扉に近付くと、扉が勝手に開きました。
「あれ?」と思って、また下がって、また扉に近付くと、また扉が勝手に開きました。
どうやら人が来ると、自動で扉が開くようでした。
中に入ると、何人か人がおり、キーボードを弾いている人もおりました。
「すみません、ここはドルフ教会ですか?」と尋ねると、男性の方が「そうです、ドルフ教会です」と答え、
「何かあるんですか?」と聞くと、「これから結婚式なんです」との事でした。
教会を正面に、敷地内を右の方を歩いて行くと、墓地がありました。
お墓を1つ1つ探して行くと、エミール・シュトイリ氏のお墓がありました。
お墓には確かにエミール・シュトイリとあり、1888-1971とありました。
お墓には愛用のピッケルも付いていました。私は合掌しました。
この教会の墓地は、登山史に名を残すアルピニストやガイドの眠る墓地だと聞きました。
ドルフ教会とエミール・シュトイリ氏のお墓を見た後は、駅前のレストランで夕食を取り、ホテルに戻りました。夕食はアルペンマカロニを食べました。
グリンデルワルトも、何十年も前と比べると、日本人の観光客も多く、雰囲気もだいぶ変わっているのだろうとは思います。
ただ宿泊先があるからなのかは分からないのですが、グリンデルワルトに来ると、なぜか気持ちが落ち着くのです。安心出来るのです。
駅前は工事をしていました。
駅前の大通りはハウプト通りと言い、村のメインストリートです。
グリンデルワルト駅を降りて、駅前の大通りをまっすぐ、どこまでも歩いて行きました。
教会へ行くためです。
教会の名前はドルフ教会と言います。
この辺りの通りは、ドルフ通りと言うようでした。
この教会は、ラウターブルンネンのシュタウプバッハの前にある教会と同じで、ガイドブックや写真集で何度も見掛けていた事もあり、一度訪れてみたかったのです。
また教会内の墓地に、新田次郎のエッセイ「アルプスの谷 アルプスの村」に登場するグリンデルワルトのホテル・ベルビューの名山岳ガイド、エミール・シュトイリ氏のお墓があるという事でした。
教会内の敷地に入り、入り口の扉に近付くと、扉が勝手に開きました。
「あれ?」と思って、また下がって、また扉に近付くと、また扉が勝手に開きました。
どうやら人が来ると、自動で扉が開くようでした。
中に入ると、何人か人がおり、キーボードを弾いている人もおりました。
「すみません、ここはドルフ教会ですか?」と尋ねると、男性の方が「そうです、ドルフ教会です」と答え、
「何かあるんですか?」と聞くと、「これから結婚式なんです」との事でした。
教会を正面に、敷地内を右の方を歩いて行くと、墓地がありました。
お墓を1つ1つ探して行くと、エミール・シュトイリ氏のお墓がありました。
お墓には確かにエミール・シュトイリとあり、1888-1971とありました。
お墓には愛用のピッケルも付いていました。私は合掌しました。
この教会の墓地は、登山史に名を残すアルピニストやガイドの眠る墓地だと聞きました。
ドルフ教会とエミール・シュトイリ氏のお墓を見た後は、駅前のレストランで夕食を取り、ホテルに戻りました。夕食はアルペンマカロニを食べました。
クライネ・シャイデック展望台にて 新田次郎の記念碑
歩き疲れたので、レストランで休んでからホテルのあるグリンデルワルトに戻る事にしました。
たくさん歩いたので暑いはずなのですが、それでも山の上の方は寒かったです。
レストランでは温かいスープとソーセージ、紅茶を頼みました。
スープの入れ物がパンをくり抜いた入れ物になっており、とてもお洒落でした。
レストランの中も、内装も、とても清潔でお洒落で、ゆっくりと休む事が出来ました。
ここではもう1つ、現地の日本人に聞いたのですが、有名な作家、新田次郎の墓がありましたので、見に行きました。
墓と言っても新田次郎が眠っている訳ではなく、「新田次郎の遺品」が眠っているとの事でした。
アルプスを愛した新田次郎が、スイスに骨を埋めて欲しいと言ったそうなのですが、スイスの方で「さすがにそこまでは」となり、代わりに遺品を埋める事になったそうなのです。
休憩を取ったレストランのすぐ近くに、小高い丘があり、木の階段がありました。
登って行くと、石垣があり、そこに新田次郎の遺品が眠るお墓がありました。
そこにはこう書いてありました。
「アルプスを愛した日本の作家 新田次郎 ここに眠る (1912-1980)」
新田次郎の作品は何冊か読んだ事があります。
その中で今でも、何度も読み返しているのが、「アルプスの谷 アルプスの村」です。
新潮文庫から出ており、学生時代に駅の売店で見掛けて、タイトルに惹かれ、買って読んだのがこの作品です。
その中でグリンデルワルトのホテルと、山岳ガイドのエミール・シュトイリについて書かれており、今回グリンデルワルト滞在中にそのホテルと、エミールシュトイリ氏のお墓を訪ねました。
新田次郎はオーストリアの「チロルの谷 チロルの村」というエッセイも書く予定だったらしいのですが、書かずに終わってしまったらしいのです。
クライネ・シャイデックを散策し、レストランで休憩を取り、新田次郎のお墓を見てから、グリンデルワルト行きの列車に乗り、グリンデルワルトに戻りました。
たくさん歩いたので暑いはずなのですが、それでも山の上の方は寒かったです。
レストランでは温かいスープとソーセージ、紅茶を頼みました。
スープの入れ物がパンをくり抜いた入れ物になっており、とてもお洒落でした。
レストランの中も、内装も、とても清潔でお洒落で、ゆっくりと休む事が出来ました。
ここではもう1つ、現地の日本人に聞いたのですが、有名な作家、新田次郎の墓がありましたので、見に行きました。
墓と言っても新田次郎が眠っている訳ではなく、「新田次郎の遺品」が眠っているとの事でした。
アルプスを愛した新田次郎が、スイスに骨を埋めて欲しいと言ったそうなのですが、スイスの方で「さすがにそこまでは」となり、代わりに遺品を埋める事になったそうなのです。
休憩を取ったレストランのすぐ近くに、小高い丘があり、木の階段がありました。
登って行くと、石垣があり、そこに新田次郎の遺品が眠るお墓がありました。
そこにはこう書いてありました。
「アルプスを愛した日本の作家 新田次郎 ここに眠る (1912-1980)」
新田次郎の作品は何冊か読んだ事があります。
その中で今でも、何度も読み返しているのが、「アルプスの谷 アルプスの村」です。
新潮文庫から出ており、学生時代に駅の売店で見掛けて、タイトルに惹かれ、買って読んだのがこの作品です。
その中でグリンデルワルトのホテルと、山岳ガイドのエミール・シュトイリについて書かれており、今回グリンデルワルト滞在中にそのホテルと、エミールシュトイリ氏のお墓を訪ねました。
新田次郎はオーストリアの「チロルの谷 チロルの村」というエッセイも書く予定だったらしいのですが、書かずに終わってしまったらしいのです。
クライネ・シャイデックを散策し、レストランで休憩を取り、新田次郎のお墓を見てから、グリンデルワルト行きの列車に乗り、グリンデルワルトに戻りました。
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