スイス旅行(追記)

チューリッヒ空港から成田国際空港には、行きよりも少し早くて、11時間30分で着きました。

日本に着いて思ったのは、「歩きやすい」という事でした。
当たり前なのですが、山の国で傾斜や高低がある道や石畳の道よりも、歩くのが本当に楽です。

スイスに滞在中、何度も山に登りましたが、高山病にはなりませんでした。
以前、スイスに来た時も高山病にはならなかったのですが、次回行く時も高山病には気を付けたいと思います。

散策が大変でしたので、日本にいる間に、少しでも体力を付けた方が良いと思いました。

語学は、やはり英語だけでも少しは話せた方が良いのかな?と思いました。

ドイツ語圏の食事は、味が濃く、量も多くて、食べるのが大変でしたので、今度は、日本人の自分の口にも合うように、お店を選んだり、メニューを選んだり、自炊する事も考えています。

後は、現地のスイス人や現地に住む日本人の友達やお知り合いが出来れば良いなと考えています。




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チューリッヒ空港から成田空港へ

午後13時に飛行機は、チューリッヒ航空を離陸し、成田国際空港へ向けて出発しました。

隣の席はスイス人の女性だったのですが、子供を連れていたため、スチュワーデスさんが配慮してくれたのか、後ろの方の男性と席を変えたようです。

スイス人の女性の代わりに、隣に座ったのは、若い青年でした。
どことなく日本人のようでもあり、でもスイス人のような顔立ちでもあり、どっちなのか分かりませんでした。
しばらして、近くに来たスチュワーデスさんに、今どの辺を飛んでいるのか、高さはどの位なのかを聞こうとしたのですが、言葉が通じなかったため、どうしよう?と思っていると、

隣に座った青年が、「何かお困りですか? 私は日本語も話せるので、良かったら通訳しますよ」と言ってくれました。

私は今、どの辺を飛んでいるのか、どの位の高さなのか、聞きたいのですが、と言いました。

「ああ、今はロシアの上空です。高さは・・日本まではまだまだ掛かります」

私は青年にお礼を言うと、「スイス人の方ですか?」と聞きました。

青年は、「はい。スイス人のハーフです」と答えました。

「ハーフ?」

「はい。父が日本人で、母がスイス人です」

「そうだったんですか、日本人かスイス人か分からなくて・・それでそんなに日本語が上手なんだ」

「日本に着くまでの間、何かあったら通訳しますよ」と言ってくれました。

彼は、インターラーケンの近郊の村に住んでいるとの事でした。

「ほんと田舎です。な~んにもないとこです。 フリースタイルって知ってます? 

僕やってるんですけど、怪我しちゃって腰を痛めちゃって、1カ月位入院しちゃったんです」

「あら~それは大変でしたね。
私は滑るスポーツは全部できなくて、サッカーとかテニスとかは、やった事あるんですけど」

「日本のどこに住んでるんですか?」

私が答えると、地理も特産品も知っていたので、

「ずいぶん詳しいんだな。やっぱり日本人とスイス人のハーフだからかな?」と思いました。

「お仕事は何されてるんですか?」と聞かれましたので、

「不動産業です」と答えました。

「不動産業・・じゃあ、帰ったらお仕事ですか?」

「そうですね、仕事に戻ります」

「スイスへは何しに来られたんですか?」

「休暇ですね」

彼はインターナショナルスクールに通っているとの事でした。
日本人とスイス人のハーフで、日本語が上手でしたから、英語やドイツ語なども堪能なのでしょうか?
スイス人は語学が堪能な人が本当に多くて、3ヶ国語、4カ国語は平気で話せる人が多いのだから凄いです。

彼とは飛行機の搭乗中、通訳も兼ねてお話していました。
彼は飛行機の中でずっと、本を読んでいるか、ゲームに興じていました。

サンモリッツからチューリッヒ空港へ

夕食とサンモリッツ湖畔を散策する前に、部屋で荷物をまとめて、サンモリッツ駅から日本の空港に送るように、手続きを済ませました。

駅構内のお店で、夜や移動中に、少しお腹が空いた時に食べられるように、パン類を少し買いました。

夕食を摂り、サンモリッツ湖畔を散策してホテルへ戻ると、シャワーを浴び、部屋のベッドに座り、一息付きました。今日がスイスでの最後の夜なのです。

翌日13時の飛行機に乗るため、翌朝早くフロントに部屋の鍵を返し、5時にはホテルを出ました。
まだ外は薄暗く、太陽は出ていませんでした。
駅の構内だけが明るく灯っており、ホームで列車を待ちました。

サンモリッツの列車は赤い列車でした。
グリンデルワルトは青い列車でしたが、列車の色の違いにも意味があるのでしょうか?

列車が来たので乗車し、クールで乗り換えて、チューリッヒ中央駅へと向かいました。
サンモリッツからクールまでは約2時間で、クールからチューリッヒ中央駅までは約1時間半ほどでした。少しずつ外が明るくなり、陽が差し始めました。

列車の中から眺める景色は、山々が連なり、緑の野に湖が輝き、街も村も建物も、やはり何度見ても綺麗でした。
改めて見ると、ベルナーオーバーランド地方の山とは、少し山の形が違うのでしょうか?
エンガディン地方の山は、何となく山の形が丸いのです。
同じアルプスでも違いがあるのかもしれません。

サンモリッツからチューリッヒ中央駅までの約3時間半、ずっと外の景色を眺めていました。
クール駅からチューリッヒ中央駅に近付くにつれて、だんだん街並みが都会的になりました。

チューリッヒ中央駅は、やはり人が多く、大きな駅でした。
10番線の列車に乗り、チューリッヒ中央駅からチューリッヒ空港駅へ行きました。

搭乗口に早目に着いたので、搭乗前に、ご飯を食べました。
ミネラルウォーターを数本買いました。

時間になったので搭乗し、13時に成田国際空港行きの飛行機は、チューリッヒ空港を離陸しました。




宝石のような湖サンモリッツ湖畔を散策して スイス風カレーライス

サンモリッツの街を散策して、サンモリッツ駅前にあるホテルに戻りました。

ホテルの地下2階にレストランがあり、そこで夕食を摂りました。
夕食は、スイス風カレーライスを食べました。

カレーライスが好きなので、旅行ガイドブックに、スイス料理にスイス風カレーライス「カシミール」というのが紹介されていたので、レストランの方に聞いてみたのですが、

「メニューにはないのですが、作って頂ける」との事でしたので、作って頂きました。
黄色いスープのようなカレールーで、クリーミーな味でした。
具にオレンジやパイナップルなどの果物が入っていました。

ご飯は日本のお米と違って、ふっくらしておらず、やや細長い形のものでした。

茶色のパンにピンク色のヨーグルトが付きました。
パンにヨーグルトを付けて食べるようです。
パンも柔らかいパンでした。

やはりフランス語圏、イタリア語圏、ロマンシュ語圏の料理は、何とか美味しく食べられるようです。
量もそんなに多くなく、固かったり味が濃いという事もないようです。
今度スイスに行った時は、食べ物はドイツ語圏では選んで食べようと思います。

スイス料理というと、チーズフォンデュ、ラクレット、アルペンマカロニは知っています。
スイス風カレーライスというのは知りませんでしたが、スイス風しゃぶしゃぶというのもあるようです。シヌワーズと言うようです。今度来た時には、食べてみようと思います。

夕食後は、サンモリッツ湖畔の遊歩道を散策しました。
遠くで見ると青く澄んでいるようでもあるのですが、近くで見ると、緑色なのです。
首都ベルンでもそうだったのですが、ベルンを流れているアーレ川も緑色に見えるのです。

周りの森や野の緑が、川や湖を緑色に映すのでしょうか?
澄んだ緑色で、とても綺麗でした。
青いような緑色でした。
水面はキラキラと輝いていました。
湖畔には花が咲き乱れていました。

サンモリッツ湖は静まり返っていました。
ヨットも幾つか浮いていましたが、人はほとんど歩いていませんでした。
サンモリッツ湖から15分ほど歩いたシュタ-ツ湖は、夏の暑い日は、湖水浴を楽しむ人で賑わうとの事です。

海水浴、森林浴というのは知っていましたが、湖水浴というものがあるのは、スイスに来て初めて知りました。
またこれも今回のスイス旅行で初めて知ったのですが、ハイキングはハイキングでも、氷河の上を歩く氷河ハイキングというものがある事も初めて知りました。

サンモリッツ湖畔を一周するまでは出来なかったのですが、4分の一ほどは歩けたと思います。
逆に湖から見ると、サンモリッツ・ドルフの街は傾斜地に広がっていました。

駅前も散策してみました。
駅前には特に何もないようでした。
駅は横に長い造りで、全体的に落ち着いた茶色という感じでした。

時間は午後8時になろうとしていました。
私はホテルへ戻りました。

高級リゾート地サンモリッツを散策して カフェ・ハンゼルマン

観光局の本局があるモーリチウス広場という広場があり、大きな広場でした。
広場には石像がありました。

記念碑か何かなのでしょうか?

街の中に円形の石造りの台があり、その台に幾何学のような形をした鉄のモニュメントが建っていました。そこから円形にデザインされた石畳の広場が広がっていました。
子供達が集まって何かに興じていました。学校に近いため、子供も多いのかもしれません。

街の人達の服装やファッションも、とてもお洒落でした。
ブランド店や高級店が多く、あちこちに並んでいました。
リゾート街ですから、ショッピングに来る人も多いのでしょうか?

街を散策していて気付いたのですが、歩道は石畳で、車道は舗装された道路でした。
きちんと区別されているのです。
歩道の石畳の道も、センスが良くて、きちんと整備されており、色もデザインも統一されていました。

街に中心にある高くそびえ立つ教会が印象的でした。

私はサンモリッツの中心地にある「カフェ・ハンゼルマン」へ行きました。
グリンデルワルトに来た時に、現地に住む日本人の方に、「サンモリッツに行かれたら、ぜひぞうぞ」と勧められていたからです。

中へ入って驚きました。
お店の外観もとてもお洒落でしたが、内装も上品で高級感があって、清潔でとても綺麗なのです。
品揃えも良く、たくさんのお菓子が並んでいました。

装飾が綺麗で、店内ではショーケースにケーキが並んでいました。
旅行ガイドブックによると、1894年にパン屋として創業し、今は手作りケーキやチョコレートが人気のお店だという事です。

私はハンゼルマンで、ゆっくり休んだ後、お土産にチョコレートを幾つか買いました。

その後、街に中にあるお土産屋さんで、時計やエーデルワイスの刺繍、小さなエンガディン地方の写真集など、少しばかりのお土産を買いました。

お土産屋さんの中に、犬を連れて歩いている人がいたのですが、そう言えば、これまでにも、あちこちで犬を連れて歩いている人を見掛けたのです。
後で知ったのですが、スイスはどこでも犬を連れて歩く事の出来る「犬と共生する社会」で、「愛犬家天国」なのだそうです。犬が好きな人には羨ましい国ですね。

モーリチウス広場の他にも、広場は幾つかあるようですが、通りはメインストリートのマイストラ通りとセルラス通りがあるようでした。

ハンゼルマンでくつろいで、お土産屋さんでお土産を買った後は、ホテルへ戻りました。

サンモリッツの中心 ドルフ地区を散策して

学校の裏手にあるケーブルカー乗り場から、サンモリッツの街に戻って来ました。

午前中はピッツ・ネイル展望台を見学し、ハイジの花の道、ハイジの小屋を散策した後、サンモリッツの街を散策しようと思っていたからです。

サンモリッツの街を改めて散策したのですが、やはり街自体が大きいです。
建物も1つ1つが大きく、広場も道もとても広々としています。

きちんと整備されており、街の作りも色もデザインも、センスが良くてお洒落です。
洗練されているという感じがしました。

街の中を行きかう人達も、若い人からお年寄りまで、みんなお洒落でとてもセンスが良いのです。
私も良く知っている有名なブランド店や高級時計店もありました。
街のあちこちに、リゾートホテルがありました。

スイスはどこに行っても、街も村も清潔ですが、サンモリッツは特に清潔で、ゴミひとつ落ちていないのです。

やはりサンモリッツは、高級リゾート地なのだと思いました。

街はドルフ地区とバート地区に分かれ、それぞれ「サンモリッツ・ドルフ」「サンモリッツ・バート」と言うようです。観光や交通の中心はドルフ地区で、バート地区は温泉保養地のようです。
街が最も賑わうのは冬との事でした。

私が散策したのは、ドルフ地区の方で、バート地区までは行けませんでした。
スイスを散策していて個人的に感じた事なのですが、1つの街でも村でも、どんな小さな街でも村でも、じっくり見て歩こうと思うと、何日でも滞在しないと行けないと思いました。

例えばグリンデルワルトならグリンデルワルトで、グリンデルワルトの村と、その周辺を見るだけでも、見る所がたくさんあって、散策するのに何日も掛かると思います。

更には、湖畔だけでも、のんびり一周歩くだけでも、結構時間が掛かると思います。
また、散策せずに、1か所にずっといるだけでも、景色を眺めているだけでも、時を忘れて何時間でもいられそうな気がします。

実際に毎年、夏の間だけグリンデルワルトに滞在して、村の色々な所を見て歩いたり、散策している方がいるとの事です。

サンモリッツも、他の街も村も、同じなのかもしれません。
観光の国だけあって、その地方ごとに特色や味わいがあり、魅力が尽きないのだと思います。
それも季節や目的によっても違うでしょうから、毎年たくさんの人が観光に訪れるのも分かるような気がします。

国全体が自然公園のような国。

スイスという国、それ自体が自然公園なのかもしれません。


チャンタレッラ駅からサンモリッツへ

ハイジの映画制作年表によると、1920年代から、たくさんのハイジの実写版が作られ、たくさんの場所をロケ地(舞台)にして作られたようですが、パンフレットの受け売りですが、

私の訪れたハイジの小屋は、1979年に制作された、有名なテレビシリーズの撮影で使われた山小屋で、もともとブレガリアの谷で約200年前に建てられた年代物の小屋だという事です。

撮影はグレヴァザルヴァス村で行われたのですが、撮影終了後はサンモリッツに移築されたとの事です。

実写版は観た事はないのですが、ハイジの小屋も、中の造りがアニメのハイジに似ていますし、ブランコもあるという事は、実写版も日本のアニメのハイジと似ているのでしょうか?

ハイジの花の道の終点から、さらに歩くと、有名な童話画家アロイス・カリジェの
代表作「ウルスリのすずの道」へ続いていると聞きました。

そこからさらに歩くと、サンモリッツに戻るようです。

私はハイジの小屋から先は歩かずに、元の道を戻ってチャンタレッラ駅に行きました。
今度は左手に見えたサンモリッツの街とサンモリッツ湖が右手になりました。

私はケーブルカーに乗って、サンモリッツに戻りました。

行きも帰りも、ケーブルカーは深い青色で、横に黄色い線が入っており、デザインがとても良く、途中同じケーブルカーにすれ違いましたが、全部同じ色、同じデザインでした。
乗り心地もとても良かったです。



高山植物の咲き乱れるハイキングコース ハイジの花の道とハイジの山小屋

チャンタレッラに着いてケーブルカーから降りると、頂上とはうって変わって、太陽の光が差し込んでいました。明るく透明な陽の光は、柔らかくて、眩しいほど眩しく光り輝いていました。

チャンタレッラ駅内の壁には、大きな掲示板が貼ってあり、「チャンタレッラ駅 100年」とありました。

チャンタレッラ駅前の木製のテーブルとベンチで休憩を取り、ピッツ・ネイル展望台に行く前に買った昼食を食べました。

チャンタレッラ駅を背にして、ケーブルカー乗り場から続く、小さな小道を散策しました。

そしてこの小道が、「ハイジ・フラワートレイル(ハイジの花の道)」でした。
そこから「ハイジの小屋」までの道は、短いハイキングコースのようでした。

左手にはサンモリッツの街、サンモリッツ湖が広がっており、正面にはベルニナの山々が見えました。

足元には高山植物の花々が咲いていました。
タンポポのような花、白い花、黄色い花、紫色の花・・大きい花、小さい花・・
どこまでも続く小道に、高山植物の花々が咲き乱れていて、癒されるようでした。

また途中、ハイカー用の木製のベンチが幾つもあり、散策している人やハイカーが、休憩をしたり景色を眺めたりしていました。

歩く度に景色が変わり、途中森の中を歩いたり、放牧された牛が草を食べる姿が見られたりと、とても楽しい散策でした。

大きく左にカーブして、歩き続けました。
そうすると小さいジャングルジムやすべり台などが見えて来ました。
その隣には、小さな小屋がありました。
この小屋が「ハイジヒュッテ(ハイジの小屋)」でした。

小屋には「ハイジヒュッテ」とありました。
小屋は全部木造で、丸太を積んで建てたような造りになっており、中に入ると、木のテーブルと階段がありました。階段の上は、干し草の置き場になっていて、緑の干し草がありました。

干し草の置き場には窓が付いていて、お日様の光が眩しいほど差し込んでいました。
他にも幾つか部屋があるようで、入ってみました。

小屋の周りには、木製のイスが幾つもあり、観光客が座っていました。
私はハイジの小屋の前のイスに座って休みました。

ハイジの小屋の隣には、ブランコがありました。
私はハイジになったつもりで、ブランコを漕ぎました。

ピッツ・ネイル展望台にて シュタインボックの像とベルニナ・アルプス

ピッツ・ネイル展望台に着きました。
片道約30分ほどで、標高は3057メートルとの事でした。

展望台には何かの動物の像が建っていましたので、聞いてみると、展望台のシンボルで「シュタインボックの像」との事でした。

6月だというのに、あたり一面は雪でした。
山歩き用の靴が、場所によってはスッポリ入ってしまう位積もっていました。

建物には大きくて長いつららが出来ていました。
頂上はかなり寒かったです。

展望台には大きなレストランがありました。
レストランも外も中も、清潔で綺麗でおしゃれなレストランでした。

レストランのテラスからは、サンモリッツの街、サンモリッツ湖、エンガディンの谷が眼下に広がり、その向こうにはピッツ・ベルニナなどのベルニナアルプスが一望出来ました。

レストラン内のテーブルに、ケーキが丸い透明のケースに入って置いてありました。
ケースもお洒落でしたが、ケーキもとてもかわいらしいケーキでした。
ケーキ用の銀色のスプーンも造りがとってもかわいくて、綺麗でした。

またテラスの横には、透明なガラスのケースに、ピッツ・ネイル展望台の木工製品が入っており、展望台からロープウェイから、ロープやタワーまで、細かく再現されて作られており、素材の木材も明るくライトな感じの色で、「これは良く出来てる」と思いました。
木工の職人か誰かが作ったのでしょうか?

食べ物でも飾り物でも、建物でも、ほんのちょっとした物でも、1つ1つが繊細で、綺麗で、おしゃれで、洗練されていて、こだわりを持って作られているようでした。

レストランのレジの横に、お土産が置いてありましたので、エーデルワイスのキーホルダーを数個買いました。

ピッツ・ネイル展望台からロープウェイで下へ降りる時は、少し怖かったです。
上りのロープウェイの時は直進方向の上しか見ていませんでしたが、下へ降りる時は高い所から真下に眼下が見えたので、落ちないとは分かっていても、その高さに少し怖いと思いました。

降りる際に、逆に上がって来るロープウェイとすれ違いました。

ロープウェイ乗り場のコルヴィリアに近付くと、雲が晴れ、雪が少なくなり、空が晴れ渡り、陽が差し込み、緑の野が顔を出しました。

コルヴィリアでケーブルカーに乗り換えて、チャンタレッラに向かいました。
ケーブルカーの中から、外の景色を見ていると、マーモットが見えました。

「あっ、マーモットだ! 暖かくなって、きっと穴から出て来たんだ!」

マーモットが数匹、穴から顔を出しているものや、岩陰に隠れているものを、見る事が出来ました。
貴重なので、写真に収めました。

やがてサンモリッツの街とサンモリッツ湖が見えました。
遠くにすべり台とハイジの小屋が見えました。

それがこれから行く「ハイジの花の道」と「ハイジヒュッテ」でした。

コルヴィリアからピッツ・ネイル展望台へ

翌朝早く、朝食を摂り、ピッツ・ネイル展望台に向かいました。

ホテルからサンモリッツの街を散策しながら、ケーブルカー乗り場に行きました。

散策して感じたのですが、街全体が広々としており、ゴージャスというか、大きいと思いました。
建物も高く大きく、デラックスで、高級感がありました。道路も広々としていました。

教会も高く大きくそびえ立っており、レストランも、ホテルも、スーパーも、お土産屋さんも、町の広場も、とても大きくて、お店の中もとても広かったです。
お店の中も品揃えも良く、色んな物が並んでいました。

学校、テニスコート、美術館、博物館もありました。

ドルフ地区にある学校の裏手にあるケーブルカー乗り場から、チャンタレッラに行き、チャンタレッラで乗り換えて、コルヴィリアまで行きました。

コルヴィリアからロープウェイに乗って終点のピッツ・ネイル展望台に行きました。

ケーブルカーから眺めるサンモリッツの街や山や湖は、とても綺麗でした。
綺麗というより美しいと言った方がふさわしいようでした。
太陽の光がまぶしい位にまぶしく、太陽の光がサンモリッツ全体に降り注いでいるようでした。

サンモリッツ湖も陽の光で輝いていました。

コルヴィリアにあるロープウェイ乗り場に近付くにつれ、あたり一面の緑の野に、雪が掛かっているのが見えました。標高が高くなったのだと思います。

コルヴィリアに付くと、山は一面の雪でした。
ロープウェイから眺める景色もとても綺麗でした。
サンモリッツの街もサンモリッツ湖も、小さくなって行きました。

やがてロープウェイが雲の中に入って行きました。

ロープウェイで上まで上がって行く時の感じが、吸い込まれるような、引き寄せられるようなといった感じで、怖いようでもあり、楽しいようでもありました。
山の頂上、もっと高い所までロープウェイが延びて行った時は、少し怖かったです。

ここで私は気付きました。
「スイスは何だか、国全体が遊園地みたいだ」と思いました。

特にグリンデルワルトに滞在した時はそうだったのですが、山の国で、国中に鉄道が張り巡らされ、山岳鉄道、ロープウェイ、ゴンドラ、リフト、

トンネルをくぐったり、トンネルや橋がループしていたり、鉄道が大きくカーブして走ったり、ループして走ったり、湖には遊覧船、蒸気船、クルーズ、ヨット、ボート、気球に馬車にアルペンホルン、

登ったり降りたり、ヒューッと行ったと思ったらスーッと戻ったり、上がったり下がったり、高かったり低かったり、

木彫りも街も、お菓子みたいでかわいいし、あちこちに噴水や泉があって、お花があって、「何だか遊園地みたいだね。面白いね」と言って笑いました。

ピッツネイル展望台にロープウェイが上がって行く時の怖いような、楽しいような感じは、遊園地のジェットコースターやアトラクションのように感じたのです。

サンモリッツ駅前の高級ホテル

サンモリッツで宿泊したホテルですが、駅前に取りました。

ベルンでも、グリンデルワルトでも、ホテルは駅前に取りました。
駅前であれば、食事にしても買い物にしても、何かと便利だと思ったからです。

サンモリッツのホテルは、大きくて、中も外観も高級感がありました。
入口に入ると、右にフロント、正面は階段になっており、下に降りるとラウンジがありました。
大きなラウンジで、丸いテーブルにイスが4席あり、壁際にはソファーがあり、床はじゅうたんで、くつろげるようになっていました。大きなグランドピアノもあり、壁際はバーのカウンターがありました。

ラウンジの横はまた大きな部屋になっており、観光客が朝食、夕食を摂る部屋でした。
上には幾つものシャンデリアがあり、床はじゅうたんで、大きなテーブルが幾つも並んでおり、窓もカーテンも壁も、

「食事をする所というより・・まるで宮殿だな」と思いました。

ホテルの窓からは、眩しい位の陽の光が差し込んでいました。

通路も広く、床は一面のじゅうたんで、階段も大きくて下はじゅうたん、ベルンやグリンデルワルトで宿泊したホテルは、小さいけど清潔感があって、かわいくてお洒落なホテルという感じだったのですが、サンモリッツのホテルはまた違いました。

大きくて広々としており、高級感があり、高級リゾート地だからでしょうか?
エンガディン地方は、同じスイスでも他の地方と違って、自然は空は青々としており、空気も澄み切っており、川も湖も澄んでいて、真珠のようなと言ったらいいのか、洗練されたような美しさがあるのです。街も自然も高級感があり、静寂に包まれており、クリーンというか、清らかなのです。

空も空気も透明で、澄み切っており、川や湖の水も清らかなのです。
建物も色も装飾もデザインも、お菓子のようでかわいらしいのです。

バートラガーツは温泉の街のようですが、治療やリハビリ、体力作りや美容のために滞在する人も多いようです。
アニメの「アルプスの少女ハイジ」の、クララとクララのおばあさまが、静養、療養に訪れているようです。
エンガディン地方は、静養、療養のために訪れる人も多く、病気などの療養地、保養地として滞在する人も多いというのも納得出来ました。

ホテルの部屋も、広々としており、窓も大きく、窓からは眩しい位に陽の光が差し込んで、サンモリッツ湖も見えました。

ベルン、グリンデルワルトに滞在した時もそうだったんですけど、スイスの夏は陽が落ちるのが遅く、夜の21時~22時頃までは明るくて、窓を開けると、美しい景色を見る事が出来ました、
窓から外の美しい景色をずっと見ているだけでも時間が過ぎてしまい、飽きないのです。

ですからサンモリッツのホテルでは、散策を終えて、夕食、シャワーを済ませると、窓から美しいサンモリッツ湖を、ただずっと眺めていました。それだけで満たされた気持ちになれたのです。

木製のベッドにフカフカの清潔な布団、壁には絵が飾ってあり、大きな鏡もありました。
くつろげるように、テーブルとソファがあり、壁もカーテンも天井も、部屋全体の内装も色調もとても良くて、落ち着く事が出来ました。

お風呂場も洗面所も、これもまた広くて、お風呂にはゆっくりと入る事が出来ました。
ホテルのサービスもとても良かったです。

夕食は1階のラウンジの横と地下2階にあり、1階のラウンジの横の観光客用の、朝食、夕食を摂る部屋でも摂る事が出来るとの事でしたので、メニューを見せて頂いて、スイスの川魚にライスと野菜を添えたものと、パンとジュースを頂きました。

夕食を済ませて、部屋に戻り、シャワーを浴び、ベッドに横になると、テレビを付けました。
テレビでは天気予報や、スイス国内のニュースや番組が放映されていましたが、言葉が分からないため、天気予報しか分かりませんでした。

シルス・マリア 犬養道子さん 「私のスイス」より

シルス・マリアを訪れたのは、理由がありました。

作家の犬養道子さんの著書に、「私のスイス」という著書があるのですが、その中にシルス・マリアの事が出て来るのです。

そこにはこうあります。

もしも老年の最後の日々を(与えられた一生の仕事や責任とは別の次元の、純粋は好みだけの問題として)、どこで過ごしたいか、ひとつ選べと言われたら、私はためらうことなく答えるだろう、シルス・マリアと。シルスの湖畔と(中略)

私は、郵便バスでサンモリッツ経由、ほぼ40分先のポントレジーナに宿をいつも取っていた。
しかし、シルスを知ってから、黄昏の光の柔らかい夕べや、朝焼けの紅の濃い日や、霧が雨をはらんで白く流れる午後、誘われるように幾度か、出掛けて来た。
シルヴァプラナでバスを棄てて、シルスの青さを見つめながら、ゆっくり歩いてマリアの村に(中略)

貴い恵みのひとしずくのように、大切にしまっておきたい、そんなシルスのマリアであるから。

そして、著書の中に、犬養道子さんが描かれたのか、2つの絵が紹介されており、
1つは、「マロヤをシルス・マリア湖より望む」 もう1つは、「バスを待ちつつ 村の郵便局と泉」とあります。

哲学者ニーチェや詩人のリルケも滞在したと言い、山の画家セガンティ-二の作品にも、シルス湖が描かれているとの事で、そのセガンティ-二のお墓は、シルス湖のマロヤの草原の中にあるとの事です。

子供の頃、犬養道子さんの「私のスイス」を読んで、シルス・マリアの名前は知っていました。
いつか行ってみたいと思っていたのですが、今回サンモリッツを観光するに当たって、シルヴァプラナ、シルス・マリアを散策する事が出来ました。





時が止まったような村シルス・マリアを歩く スグラフィット装飾の家

折り返し地点で、少し休憩を取ると、また馬車に揺られて戻りました。
向かう時もそうだったのですが、列車でも同じ事なのですが、歩く度に、走る度に、景色が変わるのです。

特に帰りは、やや下りなのか、馬車の上の方から景色を見る事が出来ました。
途中登りの馬車と、何度かすれ違いました。
人を乗せているのではなく、荷馬車もありました。

シルス・マリアから南に延びるフェックス谷は、許可された住民以外は、車の乗り入れが禁止されている谷だと聞きました。
ですから、観光用の馬車とは別に、未だに馬車が重要な交通手段となっているとの事です。

行きもそうでしたが帰りも、山や野や川や、辺り一面のお花畑で、本当に美しい村でした。
静かで時が止まったような感覚を覚えました。

馬車での散策を終えて、元のバスの停留所の近くに戻って来ました。

ちょうどお昼の時間でしたので、昼食を摂る事にしました。
あちこちにレストランやホテルがあり、メニューの看板も出ていました。
ホテルのレストランは、宿泊していない人でも利用出来るようでした。

私はどこのレストランにしようか迷いましたが、ドイツ語圏で出るような固いお肉やパン、味の濃い料理は食べられないので、メニューの看板を見て、お店の人に尋ねました。

どうやらロマンシュ語圏の料理らしく、その地方の料理のようで、量も選べるようなので、そのお店で食べる事にしました。

メニューを見て選んだのですが、太いメンのウェーブの掛かったほうれん草のパスタでした。
パスタのスープは白いクリームスープで、野菜の刻んだものも掛かっていました。

パンも小さくて柔らかいパンでした。

この量で、これなら食べられると思いました。とても美味しそうでした。
ただ、「どうみても普通のパスタなんだけど、どこがその地方の料理なんだろう?」と思いました。

食べてみると、とても美味しかったです。

ベルンやグリンデルワルト周辺のドイツ語圏の料理は、どうも私は食べられないようです。
現地の日本人も、食べられない人もいるようでした。
以前ドイツに行った時もそうだったのですが、お肉もパンも固くて、料理も味が濃くて、調味料もきつくて、量も多くて、食べられないのです。

ハイジの舞台であるマイエンフェルトに来てから、食べ物が美味しいと感じるようになって、これなら食べられると思いました。

やはり日本人で、麺やパスタ、日本食、中華、フランス料理、イタリア料理などを食べ慣れているせいか、ドイツ語圏の料理は合わないのでしょうか?

お昼を摂った後、シルス・マリアの村を散策しました。
家やホテルやレストランや、建物が窓も作りも、建物の色もデザインも、お菓子のようで、かわいらしくて、おとぎの国のようでした。

後で知ったのですが、この地方の特徴として、厚い壁と小さな窓、そしてスグラフィットと呼ばれる装飾があり、壁が厚く窓が小さいのは、冬の厳しい寒さへの対策で、スグラフィットというのは、模様を描き出す技法の事で、ルネサンスの時代に発展し、16世紀頃にヨーロッパ各地に広まったとされています。

エンガディンでは、多くの村の建物の壁が、このスグラフィットで美しく飾られているとの事でした。
またスグラフィットでなくても、装飾が施された壁も多いようです。
建物の窓や作り、色やデザインも、どうりで綺麗でかわいらしいと思いました。

哲学者のニーチェが晩年を過ごしたという家、ニーチェハウスもありました。

スイスは本当に、どこへ行っても、山では花が咲き乱れていて、お花畑も見られますが、村や町でも至る所に、家の窓にも、道にも、ほんのちょっとした所にも、綺麗に花が飾られていて、やっぱり観光の国だと思いました。

スイス全土で見られるのですが、観光の国だからなのか、窓辺が花で飾られ、何も無い所に華を添えるというか、無機質な家の壁と、美しい対比を見せているとの事です。

村全体が、時が止まったように静まり返っていて、清潔で、とても綺麗でした。
こういう所に、本当に人がいて、実際に生活しているんだと思うと、不思議な気持ちになりました。

スイス第4の公用語であるロマンシュ語が使われている地域でもあるようです。
小さな村でしたが、人口は何人位なのでしょうか?

散策した近くには、川が流れていました。
この川は馬車で散策したフェックス谷の方に流れているようですが、どうやらシルヴァプラナ湖に繋がっているようです。この川は水源は、フェックス氷河を水源としている川のようです。

イン川はシルス湖には繋がっているようです。
シルス・バゼリアやシルス湖までは歩けませんでした。

私はまた、黄色いポストバスに乗って、サンモリッツに帰りました。

ポストバスに乗ってシルス・マリアへ 馬車に乗ってフェックス谷へ

翌日は、シルス・マリアへ行きました。
この村は、シルヴァプラナ湖とシルス湖に挟まれた村で、哲学者ニーチェが晩年を過ごした村としても、知られています。

昨日と同じように、駅前のポストバス乗り場から黄色いポストバスに乗って行きました。
シルス・マリアは、サンモリッツからポストバスで2つ目の所にありました。
昨日行ったシルヴァプラナの隣の村で、シルヴァプラナ、シルスの順でした。
バスで20分ほどでした。

バスの時刻表によると、降りる場所の地名はシルスとあります。
シルス・マリアは、どうやら省略して呼んでいるようで、正確な地名は違うようです。
推測ですが、シルスの中に、シルス・バゼリア、シルス・マリアとあるようで、シルスとはその辺り一帯の呼び名のようです。

バスでは、シルスの次はマロヤのようでした。
どうやらサンモリッツからシルヴァプラナ、シルス・マリア、マロヤは、鉄道はなく、バスでの移動が主な交通手段のようです。

シルス・マリアの村は、家がとてもかわいらしくて、お菓子のようでした。
バスの停留所の近くには、レストランやお土産屋さんがありましたが、お昼の12時から14時までは閉めているようでした。

バスの停留所から少し歩くと、馬車乗り場がありました。
観光用の馬車なので、料金は掛かるのですが、馬車で村を散策出来るとの事で、乗せて頂きました。たぶん馬車に乗ったのは、往復で1時間ほどでした。

馬車は、横長の座席が2つ付いていました。
馬車用の毛布もあり、寒いので毛布を膝に掛けて馬車に乗りました。
馬は2頭でした。
馬車に揺られて村を見学しました。
馬車は初めてだったので、馬車に揺られる感じがとても良かったです。

森と林を抜けて行き、どこを見ても山と緑とお花畑しかなく、小川が流れていて、家が点々としていました。幾つかの集落があるようなのですが、どこを見ても家が数軒しかありませんでした。
あちこちで流れていた小川は、何という名前の小川なのでしょうか?

途中折り返しの所で、馬車を運転してくれた青年と、馬車も一緒に、記念写真を撮りました。
馬車に乗せて貰っただけなので、どこを歩いたのか分からないのですが、たぶんシルス・マリアから南に延びるフェックス谷の方へ向かって歩いたのではないかと思います。

小川に手を入れてみました。
とても冷たくて気持ち良かったです。

折り返し地点は、ホテルだったのかもしれません。
2階建ての白い建物で、テラス席もありました。

青い空、白い雲、山々や丘の斜面、野原に草原、森に林に木々、どこまで続く緑のじゅうたんに、流れる小川の音に、あたり一面に咲き乱れる高山植物に、花々に、村に点在するお菓子のような家々に、心がとても癒されるようでした。

サンモリッツ湖にもイン川が流れていて、シルヴァプラナ湖にも、シルス湖にも、イン川が流れているようです。
エンガディン地方の村々の周辺は、どこも平坦で、湖の周囲だけではなく、散策にはうってつけのようです。山の中の道なのですが、傾斜がなくて歩きやすかったです。
エンガディンは、「イン川の庭」という意味で、広い盆地だそうです。


サンモリッツ近郊シルヴァプラナ湖畔にて

翌朝、目が覚めると大きく背伸びをしました。
昨日は、ハイジの泉を探して歩き詰めでしたから、疲れたのだと思います。
良く眠れました。

スイスに来てからは、毎日見学や散策で、ずっと歩き詰めでした。
舗装された道路ではなく、石畳の道や、傾斜のある山道ですから、普段日本で、舗装された道路を歩いている私には、かなり大変でした。
スイスに住んでいる方は、毎日こんな道を歩いて生活しているのでしょうか?

スイスは山の国ですから、毎日歩いていると、健康にも良いかもしれませんね。
スイスに来てから気付いたのですが、空気が良いのか、肌の状態がとても良いのです。

部屋の窓から、外を眺めると、サンモリッツ湖が見えました。
とても美しい湖でした。
サンモリッツの街は、ドルフ地区とバート地区に分かれているとの事でした。
私が宿泊したホテルは、ドルフ地区でした。

サンモリッツの街は、とても静かで、清潔感があり、高級感があるように感じました。
静寂に包まれているという感じがありました。
同じスイスでも、ユングフラウ地方とは、別の空間のようでした。

スイスでのホテルでの朝食は、ベルンでも、グリンデルワルトでも、パン、生ハム、卵、チーズ、サラダ、フルーツ、ジュース、ミルクと、大体同だったのですが、サンモリッツでの朝食は、バイキングで、お味噌汁やお米もありました。お箸も付いているのです。
魚もあったのですが、スイスは内陸国なので、川魚との事でした。

ホテルで朝食を取ると、駅前のポストバス乗り場から、ポストバスに乗って隣の村のシルヴァプラナに行きました。ポストバスは黄色でした。
シルヴァプラナは、サンモリッツからポストバスで1つ目の村でした。

以前から、旅行ガイドブックに載っていたシルヴァプラナの美しい川沿いの風景が印象に残っていて、訪れてみたかったのです。

山には雲が掛かっており、雲と雲の間から陽の光が差し込んでいて、晴れでもあり曇りでもあるといったような天候でした。ただ少し寒かったので、上着を着ました。

シルヴァプラナ湖畔の景色がとても綺麗でした。
美しすぎるほど、美しいという言葉がピッタリで、表現する言葉がないのです。
湖は澄んでいて、とても綺麗でした。
湖に太陽の光が反射して、眩しい位に輝いていました。
中に手を入れると、とても冷たくて気持ち良かったです。

シルヴァプラナ湖周辺は、山は幾つにも連なっていて、どこまでも続く広々とした野原と、山の麓の清潔な村と、空気は澄んでいて、赤、白、黄色、青、紫などのたくさんの花々が咲き乱れていました。湖畔には、ボートもありました。

人はほとんどいませんでしたが、それでも何人かの人が、湖畔を散策しているようでした。

シルヴァプラナ湖畔を散策した後は、またバスの停留所からポストバスに乗って、サンモリッツのホテルに戻りました。

宿泊したホテルは、結構大きなホテルで、地下にレストランがあり、遅くまでやっていました。
ですので、今までは夕食は外のレストランで摂らないといけなかったのですが、サンモリッツのホテルでは、ホテル内のレストランで夕食を取る事が出来たので、助かりました。




クール駅から高級リゾート地サンモリッツへ

クール駅でユリア峠を通るポストバスに乗れなかった私は、クール駅のホームに移動して、サンモリッツ行きの列車を待ちました。

ホームで列車を待っていると、3人のスイス人らしき人が、若い人で男性が2人、女性が1人、私の方を見て、クスクス笑っているのです。

「このボロボロになった傘を見て笑ってんだろ? しょうがないだろ? グリンデルワルトは大風で強風だったんだから。 壊れた傘は捨てて新しい傘を使えばいいんだろうけど、日本から来て勝手が分からないと思って・・」

列車が来ましたので、列車に乗りました。
後はサンモリッツに着くまで、乗っていればいいだけです。

私は少しホッとしました。

駅員さんが乗車券を確認しに来たので、その際に、「ここからサンモリッツまでは、どの位掛かりますか?」と聞きました。

「2時間です」と言いました。

「2時間!? 2時間も掛かるの?」

「はい、そうです」

仕方がないので、窓の外の景色を見ながら、過ごす事にしました。
スイスの良いところは、景色がいいので、乗っている時間が長くても飽きない、という事でした。
どこを見ても綺麗で、あっという間に時間が過ぎてしまうのです。

サンモリッツに近付くにつれて、「やっぱりスイスは、どこも綺麗なんだけれども、グリンデルワルトとは、また違った美しさだ」と思いました。いかにもエンガディ-ン地方という感じの風景でした。

マイエンフェルトでの散策が長かったため、サンモリッツへは夜の21時頃になってしまいました。
サンモリッツに着くと、私は駅からグリンデルワルトから送った荷物を受け取って、予約したホテルに向かいました。
「ホテルまで荷物をお持ちしますか?」と聞かれましたが、「大丈夫です。自分で運びます」と答えました。

サンモリッツ駅は、サンモリッツ湖畔に建っていました。
高級リゾート地の駅らしく、大きくて落ち着いた感じの駅でした。
駅の建物の真ん中は大きな時計の塔になっていました。
ホテルはサンモリッツ駅のすぐ真ん前にありました。

ホテルまで荷物を持って歩き、ホテルにチェックインして、自分の部屋の鍵を貰いました。
ただ歩き詰めで疲れていたのと、お腹も空いていたため、ホテル内のレストランで、夕食も兼ねて一息入れました。

夕食は、ライスをスープで煮込んだグリンピース入りのお粥のようなものを頂きました。
たぶんリゾットだと思います。飲み物はオレンジジュースを頼みました。

私はその日は、疲れていたので、シャワーを浴びた後、すぐに寝てしまいました。


クール駅にて

マイエンフェルト駅で、列車を待ちました。
何人かの人が駅で、列車を待っていました。
ご老人の夫婦、それに若いカップルがいました。

マイエンフェルト駅を改めて、外側中側と見てみたのですが、建物の一部が取り払われ、外観は小さくてシンプルで、とてもかわいらしい感じになり、内装もとてもデザインが良く、

クリーム色の壁と、駅の窓は、障子のような?またはチェックの柄のような?全体が透明のガラスの窓で、深みのある木製の窓の縁と、駅舎の中の待合室のイスは灰色で、コントラストがとても良く、良い作りになっていました。

マイエンフェルト散策中は、昼頃は天気が良かったのですが、夕方にかけて少し雨が降りました。
マイエンフェルト駅からクールに向かいました。
クールに向かう列車の中で景色を眺めていたのですが、雨が少し強くなっていたようでした。

クール駅に着いたのですが、街は結構大きいのでしょうか?
印象としては、クール駅自体も大きいようですし、大きなバスターミナルもあり、車や大きなバスも行き来していました。こじんまりとしている街だと聞いていたのですが、駅前はわりと交通量はあるようです。

クールではポストバスに乗って、峠を越えてサンモリッツに向かいたかったのです。
前から輝く峠と呼ばれる「ユリア峠」を見てみたくて、そのために列車ではなく、ポストバスにしたのですが、ポストバスの乗り場が分からなくて、迷ってしまいました。

駅前のバスターミナルでは、何台もバスが行き来していましたので、案内板を見たり、バスの運転手に聞いてみたのですが、サンモリッツへは行かないとの事でした。

バス乗り場の案内所がありましたので、中にいた女性の方に聞くと、「16時59分に10号車のバスがサンモリッツ行きです」と、丁寧にメモを渡してくれました。
駅前のバス乗り場はポストバスではなく、普通のバスで、ポストバスの乗り場は、駅の反対側だという事でした。

駅の反対側の方に行くと、バスはみんな黄色いバスで、「あっ、このバスだ」と思いました。
ポストバスは黄色と聞いていましたし、バスの前上部に「サンモリッツ行き」と表示されていました。
バスの運転手にも、2回ほど「16時59分にサンモリッツへ行きますか?」と確認したのですが、「ええ、行きますよ」と答えてくれましたので、安心しました。

ポストバスのバス乗り場は駅前ではなく、駅の反対側だったのです。

私は10号車のポストバス出発まで時間があるので、売店で傘と飲み物、食べ物を買いました。

そして16時59分近くになって、私は10号車に行き、運転手の方に、「サンモリッツ行きですよね?」と再び確認しました。

そうすると、「違います」と言うのです。
私は、「はあ? だってさっき、この10号車の運転手に聞いたら、サンモリッツに行くと言っていましたよ?」と言いました。

「いえ、行かないです」

私は首をかしげて、「んーだってさっき、この10号車の運転手の方に聞いたら、確かに16時59分にサンモリッツに行きますって言っていましたよ。 2回も確認したんです。 それにバスにもサンモリッツ行きって表示されてましたよ」

「誰が言ったんだろう? このバスはサンモリッツへは行かないですよ。 サンモリッツ行きはもう終わりです。 全部出てしまったんで、今日の便はもうないんです」

「えーバスの案内所の方にも聞いて、16時59分、10番目に止まっているバスは、サンモリッツに行きますと聞いたんですけど」

「うーん、ちょっと分からないですね。 どちらにしろ、もう今日はサンモリッツ行きの便はないので、そう言われましても・・」

私はまた首をかしげながら、「??? そうですか・・分かりました。 そうしたら、サンモリッツに行きたいんですけど、どうしたらいいでしょうか?」と聞くと、

「この時間ですと、列車しかないと思います」

「??? そうですか・・うーん・・案内所の人が言っていたんだけどなぁ・・分かりました」

「すみません」

こうして私は峠越えのポストバスに乗って、ユリア峠を見るというのは、今回は出来ませんでした。


「案内する人によって違うんだけど、何なんだろう、このギャップは?」 そう思いました。

ミューレンでのケーブルカー乗り場でもそうだったのですが、受付の人がケーブルカーを列車と言ったり、どうも良く分からないギャップのようなものがあるようです。

今回はマイエンフェルトでの散策に思ったよりも時間が掛かってしまったため、クールの街を散策する事は出来ませんでした。

私はポストバス乗り場から、クール駅に移動しました。



ハイジの泉からマイエンフェルト駅へ

ハイジの泉に運よくたどり着いた私は、ハイジの泉で少し休んだ後、ハイジの泉を後にしました。

今度はハイキングコースの中を歩くのではなくて、道路沿いを歩いて、マイエンフェルト駅に戻ろうとしたのですが、

「えーと、どっちだったっけ?」

というより、ハイジの泉を拠点に右方向、左方向、どっちから行ってもマイエンフェルト駅には戻れるのですが、「ここからまた駅まで歩くのはかなりしんどいな」と思いましたが、帰るしかないので、

近くにお手洗いと駐車場があり、お手洗いに行った後、駐車場に人がいましたので、道を尋ねました。かなり歩き疲れていたので、少しでも短い距離で戻りたかったからです。

「すみません。マイエンフェルト駅へ行きたいのですが、どちらの道が近道ですか?」

「マイエンフェルト駅?」

「はい、駅です」

「マイエンフェルトじゃなくて、マイエンフェルト駅ね」

「はい、マイエンフェルト駅です」

「乗って下さい」

「え? あっ、いえいえ、道を教えて頂くだけでいいんですけど」

「いいから、いいから、乗って下さい」

申し訳ないと思いながらも、車に乗せて頂きました。男性でした。

男性は車を走らせると、「君はどこから来たの?」

「日本です」

「日本か、何語が話せるの? 英語?ドイツ語?フランス語?イタリア語?」

「すみません、どれも話せないんです。英語が少し話せるだけです。日本語しか話せません」

「日本語か、私も駄目だ」

「君は何しに来たの? ハイキング?」

「ハイジファンなんです」

「あっ、そうなんだ」

そうこう話しているうちに、あっという間に駅の近くまで来てしまいました。

男性は笑いながら、「ははは、あそこに日本のハイジのアニメの絵があるじゃない」

一番最初にマイエンフェルト駅に降りた時に通ったレストランでした。

男性は車を駅前の道路の端に停めると、切符売り場の所に行って、切符まで買ってくれようとしていました。私は、「あっ、切符は持ってます」と言いました。

「あっ、切符持ってるの、じゃあ、気を付けてね」

そう言って立ち去ろうとしたのですが、「車に乗せて頂いて申し訳ないので、ほんの少しですがお礼を」と言うと、

「いやいや、お金は要らない、大丈夫だよ。気にしないで下さい」

そう言って立ち去って行きました。

「アルプスの少女ハイジ」の村マイエンフェルト ハイジの泉で

ふと後ろに目をやると、私が座って休んだハイカー用の木製のベンチの後ろには、大きめの道がありました。

「雨も降って来たし、歩き疲れてこれ以上歩けないし、今自分がどこにいるかも分からないし、周りに尋ねる人もいないし、ハイジの泉は無理かなぁ?」

私は少しベンチで休んだ後、ベンチの後ろの道を渡って向こう側のハイキングコースに入って行くと、右側に「ハイジの泉」がありました。

「あれえ!? こんな所にあった!」

結局ハイジホフからそう遠くない、すぐ近くの所にあると思っていた事、車の走る道路沿いではなく、山の中の道沿いにあると思っていた事、あちこちに標識や案内があって、かえって迷ってしまった事などが重なって、ハイキングコースの中に入って行ってしまっていたのです。

でも運が良くて、ほんの少しでも出る道がずれていたら、ハイジの泉のある道沿いには、出なかったのです。
車の通る道路を、そのまま道なりに歩いて行けば、迷わなくて済んだのですが、ハイキングコースのため、かえって標識や案内が多くて、迷ってしまって、ハイキングコースの中へ入って行ってしまったという訳です。

道路を歩いて行かなかったのは、車の通りが多くて、歩道もないし、「ちょっと危ないかな?」と思ったのもあります。

ハイキングコースの中を入って行ってしまい、ひたすら歩いて出た道が、ハイジの泉がある道沿いだったという訳です。

ハイジの家から、そのまま道路を道なりに歩いて行けば着いたはずの道が、私が偶然休んだハイカー用のベンチの後ろの道だったのです。

「今回は無理かな?」と思って諦めかけていたのですから、偶然とはいえ、嬉しかったです。
私はせっかく運よく見つかったハイジの泉を写真に収めました。
雨も降って来ましたが、傘を差しながら写真を撮りました。
そしてハイジの泉から流れている水に手をやり、泉の中に手を入れました。
とても冷たくて気持ち良かったです。


マイエンフェルトは、結構イメージと違って車の通りが多かったです。
旅行ガイドブックやパンフレットの案内では、すぐ近くにあるような地図や絵なんだけれども、現地は、実際に歩いてみると、結構距離があります。
私は歩いて見学しましたが、旅行会社を通して来る方は、車か観光バスで通るのかもしれません。観光するだけなら、わざわざ私のように歩かないで、車やバスで移動した方が楽でしょうね。

今から思えば、マイエンフェルト駅からハイジホフとハイジの家があるハイジ村(オーバーロッフェルス)、ハイジの泉のある場所は「赤の道」と言い、

原作者ヨハンナ・シュピーリが滞在していたイエニンス村、「赤の道」と合流するウンターロッフェルズ、お爺さんの山小屋があるハイジアルプ(オクセンベルク)は「青の道」と言い、

旅行ガイドブックやパンフレットには、「赤の道ハイキングコース」「青の道ハイキングコース」とあるのですから、ハイキングコースに入って行ってしまったというよりは、もともとハイキングコースなんだと思います。

ハイジの泉は、ハイキングコースの中というのもあるのですが、自然公園の中にあるとの事でした。


ハイジの家はハイジが冬の間過ごした家で、アルムお爺さんの山小屋はハイジの夏の家と言われています。
標高1111メートルの所にあり、原作にはここがアルムお爺さんの家とは特定されていないのですが、マイエンフェルト市が「この山小屋をアルムお爺さんの山小屋と認定した」との事です。

私は今回は、赤の道しか散策出来ませんでした。
次回来る時は、赤の道、青の道の両方を、ホテルを取って滞在しながら、じっくりと散策したいと思います。今度来るときは、もう迷わないと思います。

「アルプスの少女ハイジ」の村マイエンフェルト ハイジの家とハイジの泉

ハイジは夏は山の上で暮らして、冬は麓の村で暮らしました。
その冬の家がハイジの家なのですが、ハイジの家は、中が複雑でどの部屋に何があるのか、良く分かりませんでした。

世界中のハイジの絵本がコレクションされている部屋には、机とイスがあって、記念に思い出や感想などを記帳するノートが置いてありましたので、私はただ、「ハイジハウスにて」とだけ書き、そして日付と名前だけを書きました。

ただその時、中東の方らしき家族の方がいて、その子供が私になついてしまったのです。
子供は好きなのですが、私になついてしまい、中々離れないため、その子のお父さんとお母さんが、「こら、何してるの」と注意はしていました。

ハイジの家を出て、ハイジの家の周辺を見て回りました。
ハイジの家とチケット売り場の近くに、花で飾られた大きな噴水があり、大きな古い建物があったのですが、あの建物は何の建物だったのでしょうか?博物館なのか、ちょっと調べてみようと思います。

チケット売り場は「ドルフラーダ」というようでした。
前に広がる庭、草原では、かわいい山羊や羊に触れ合う事も出来ました。

ハイジホフ、ハイジの家の後は、ハイジの泉へ向かいました。

今思えば道路をきちんと歩いて行けば、迷わずハイジの泉に行けたはずなのですが、まさか車の通る道路ではなく、山の中の道沿いにあると思っていたので、それもハイジホフからすぐ近くの所にあると思っていたので、

歩いても歩いても見当たらず、「そんなに遠くにあるはずはないと思うんだけど、行き過ぎたのかな?それとも意外にもっと先の方にあるのかな?」と思い、

あちこちに「ハイジの道」など、案内や標識があるため、かえって迷ってしまい、途中で近道をしようと思ったのか、あちこちに標識や案内があったので、かえって迷ってしまったのか、その両方だったのかもしれませんが、

とにかく森の中なのか、ハイカー用のコースなのか、道路に沿って歩かずに、道路から外れて、真ん中を突っ切って歩いて行ってしまい、どこまで行っても何も見当たらず、雑木林のような所に入って行ってしまいました。

それでも標識や案内、ハイジやペーターの人形があったりするのですが、ハイジの泉にたどり着けず、道に迷ってしまいました。

記念にハイジの泉だけは見ておきたい、写真に収めておきたいと思っていたのですが、歩いても歩いても見つからず、たどり着かず、歩き疲れて、さらに雨も降って来て、「どこにあるんだろう?見つからないな?どうしようかな?」と思いました。

目の前にハイカー用の木製のベンチがあったので、そこに座り、水を飲み、一息入れました。

「んー今自分がどこにいるかも分からないし、どうしようかな?」

道に迷ってしまったのです。

「アルプスの少女ハイジ」の村マイエンフェルト ハイジホフとハイジの家

ハイジホフは白い建物でした。
駐車場もあり、車がたくさん停まっていて、大型の観光バスもありました。
看板にハイジホフとあり、建物にもハイジホフとあり、階段を上ってハイジホフに入りました。

レストランの中に入ると、ハイジの写真が飾ってありました。
実写版か何かの写真でしょうか?

レストランは観光客で賑わっていて、私のように一人で、家族で、親子で、また団体で来ている方もいました。
レストランは室内と屋外があり、屋外にはテラス席があり、観光客がたくさんいました。

私はミートソースのスパゲティとパン、オレンジジュースを頼みました。
なにしろずっと長い道を歩いて来たので、お腹は空くし、のども渇いていたので、とても美味しかったです。やっと一息付けました。

ハイジホフから村を眺める事も出来ました。
あたり一面、美しい緑で、山も村もとても綺麗でした。
天気はとても良かったです。

食事を済ませると、ハイジホフとハイジホフの駐車場の間にある小道を歩いて行きました。
途中ハイジの家、ハイジ村の標識がありました。
看板もありました。看板には英語とドイツ語で「ようこそ」とありました。

ハイジの家のすぐそばに、チケット売り場があり、ハイジの家のチケットを買いました。
チケット売り場には、ぬいぐるみや絵はがき、キーホルダー、文房具、食器、動物の置物やシャツ、小物など、たくさんのギフトセット、お土産が売っていました。
ワインなどもあるようでした。ハイジの本のコーナーもありました。

チケット売り場のすぐ横には、村を見下ろせる庭があり、観光客がベンチに座ったり、大きな木の下でゆっくりしたり、村を眺めたり、記念写真を撮ったり、シートを敷いて横になったりと、くつろいでいました。

チケットを買ってハイジの家に入りました。

ハイジの家は入口を入ると納屋があり、1階が台所と食堂と出口で、たくさんの調理用具や食器類がありました。
2階には干し草のベッドがある寝室があり、どこの階のどの部屋だったかは覚えていないのですが、ハイジとペーターが勉強をしている人形とテーブルもありました。

3階位まであったように記憶しています。

他にどの階のどの部屋だったかも覚えていないのですが、ハイジの服や洋服ダンス、本棚、ベッドも幾つかあり、クララの車いすや、アルムお爺さんの服とタンス、またアルムお爺さんが作業している人形も置いてありました。

階段ではなくハシゴで登る部屋もありました。

「ハイディ-世界を震撼させる少女」「ヨハンナ・シュピーリの一生涯と作品」という解説が書かれたものが、透明なガラスで展示してありました。

原作者ヨハンナ・シュピーリの肖像画や夫と一人息子の写真、シュピーリが通っていた小学校の写真、シュピーリの生家・ドクトルハウスなどの写真も飾ってありました。

写真の下には大きな箱があり、箱の中には、世界各国で出版されたハイジの絵本が置いてあり、国によってハイジの顔が違うのが面白かったです。
中には私が持っている日本語版の本もありました。


「アルプスの少女ハイジ」の村マイエンフェルト ハイジホフにて

マイエンフェルト駅から市庁舎広場までは、頻繁に車が通り、「結構車が通るんだな」と思いました。

市庁舎の右側の石畳の道を、さらに真っすぐに歩いて行くと、あちこちに噴水があり、ぶどう畑が見えて来ました。
市庁舎を過ぎると、道路もまた石畳の道から、アスファルトの道路に戻りました。
市庁舎広場の通りだけが、石畳の道のようでした。

途中で見掛けるハイジの道、ロッフェルズ、ハイジ村、ハイジの家、ハイジホフなどの案内板や標識を頼りに、どこまでも歩き続けました。ぶどう畑も目印になりました。
以前「ぶどう畑の続く道を真っすぐに行くとハイジホフがある」と、本で読んだ事があるからです。

途中また「オクセンベルク」と標識があり、その下にハイジ村、ハイジの家という標識もありました。
オクセンベルクっていうのは、アルムお爺さんの山小屋だから、もうそろそろかな?と思いましたが、標識はオクセンベルクは左方向で、ハイジ村、ハイジの家は右方向で、Y字路になっており、ハイジ村、ハイジの家の標識の方(右側)を、さらに歩いて行くと、またY字路になり、左方向がハイジ村、ハイジの家、ハイジホフという標識がありました。

その標識の通り、左に歩いて行くと、どこまでもぶどう畑の道を歩いて行くと、遠くにそれらしき建物が見えて来ました。
今度はそのまま真っすぐに行くか、右に曲がるかの、T字路になっていましたので、道路の標識を見ると、右にハイジ村、ハイジの家、ホテル・ハイジホフとありました。

遠くにそれらしき白い建物が見えていましたので、右かな?と分かったのですが、標識の通り、私は右に曲がり、歩き続けました。

そうすると、駐車場にたくさんの観光バスを始め、たくさんの車が停まっていました。

小高い丘の上に、白い建物があり、ハイジホフ、ハイジレストランと、案内板がありました。

いや~遠かったなぁ・・かなり歩きました。
やっと着きました。

「アルプスの少女ハイジ」の村マイエンフェルト マイエンフェルト駅から市庁舎広場、メインストリートへ

マイエンフェルト駅は無人駅で、リクエスト用のボタンはないのですが、きちんと止まるようです。

マイエンフェルト駅を降りると、駅舎の前に小さな噴水があり、近くにはハイジ村の案内板とベンチがありました。キヨスクもありました。

駅舎はポツンと建っており、昔の駅舎とは全然変わってしまっていて、駅舎の建物の一部が、だいぶ取り払われたのか、小さくなっていました。
ただ外観はかわいらしくお洒落な作りになっていました。
駅舎には「マイエンフェルト」と看板が付いていました。

私は駅を背にして、村の方へ歩いて行きました。
しばらく歩いて行くと大通りの十字路に出ました。
この大通りがメインストリートのようでした。

十字路の右側に大きなレストランがありました。
レストランの正面の上の窓と、左側の上の窓に、日本のハイジのアニメーションの絵がありました。
アニメの絵は、ハイジとアルムお爺さんの絵でした。
レストランの左には、綺麗な花で飾られた噴水がありました。
レストランのテラス席で、何人かの人が食べて飲んで談笑していました。

左側の道路の標識の柱には、「ハイジの道」とありました。
十字路を過ぎて、真っすぐに歩いて行くと、右側にアーケードのある歩道が見えて来ました。このアーケードは首都ベルンで見たものと同じでした。

アーケードの中の歩道をくぐって、さらにどこまでも歩いて行くと、Y字路にぶつかりましたので、どっちかな?と思い良く見ると、壁には、右に「イエニンス」左に「ファドーツ」と書かれた標識がありました。

ファドーツの標識の方(左側)を見ると、旅行ガイドブックで見た市庁舎の建物が目に入りました。
市庁舎には壁画が描かれており、クリーム色?オレンジ色?のかわいらしい建物でした。
道がアスファルトの舗装された道路から、石畳の道に変わりました。
石畳の道を挟んで、花で飾られた大きな噴水があり、噴水の両脇は駐車場になっており、車が停まっていました。
「この噴水が、アニメでハイジが、一息入れた噴水なのだ」と思いました。

市庁舎の下1階はレストランになっているようでした。
市庁舎は村の中心で、壁画が描かれた役場が正面に建つ小さな広場は、市庁舎広場と言うようでした。

左側には緑の建物があり、文房具店などがあるようでした。

途中、旅行ガイドブックで見たような建物がありましたので、「これがブランディス城かな?」と思いました。
石造りの塔が印象的で、ブランディス城の横の小道を歩いて行くと、市庁舎広場に出ました。
どうやら私が歩いたのは、駅の東側のようでした。


グリンデルワルトから「アルプスの少女ハイジ」の村マイエンフェルトへ

ホテル・ベラリーを後にして、真っすぐに自分のホテルに戻りました。
グリンデルワルトに滞在する最後の夜でした。

私はホテルに戻ると、荷物を整理してスーツケースに入れました。
翌朝は早いからです。

翌朝ホテルで朝食を摂ると、私はお世話になったホテルの方にお礼をして、ホテルを後にしました。
カウンターにも、観光客が記念に思い出や感想を書くノートが置いてあり、私もお礼と日付、名前を書きました。

「滞在中は色々とお世話になりました。 またスイスに来る事があったら宿泊させて頂きます。 ありがとうございました」

それにしても滞在中、私が散策に出掛ける時は、いつも、「Have a nice day!(良い1日を)」
そして朝は、いつも、「Morgen(お早うございます)」しか言わなかったのはなぜなのでしょうか?

グリンデルワルト滞在中には、いつも傘を持ち歩いていました。
散策中に雨に降られる事が少なくなかったからです。
そして風も強かったです。しょっちゅう吹いていました。
現地に滞在中の日本人に、「雨も風もしょっちゅうなんですけど、スイスはいつもこうなんですか? それとも温暖化の影響ですか?」と聞きました。

「山の国ですから、天気が変わりやすいというのはあるんですけど、中国の黄砂が飛んで来ているようなんです」

「中国の黄砂ですか? 中国の黄砂がスイスにまで来てるんですか?」

「そうみたいなんです。 気温も暑くて、ルツェルンでは今年は観測史上最高の暑さだそうです」

雨風が凄いので、しょっちゅう傘を壊して、グリンデルワルト駅前の売店では、しょっちゅう傘を買っていました。予備にもう1本、用意しておかないといけない位でした。

店員さんに、「雨風が酷くて、何度も傘を壊してますよ」と言うと、「そうなんですよ、しょっちゅう風が吹いてて、風も強くて傘も売り切れる事があるんですよ」と言いました。

首都ベルンやロシニエールでは、そんな事はなかったのですが、グリンデルワルト周辺に来てから、雨風がしょっちゅうだったのです。
グリンデルワルトはベルナーオーバーランド地方、山の地方だからなのでしょうか?

そしてそれは、マイエンフェルトを含め、サンモリッツ周辺でも、天候の変化は多少ありました。場所によって、天候に違いがあるのでしょうか?
ただ晴れだったり曇りだったり、雨だったりするのですが、グリンデルワルト周辺とは違って、風はほとんどなかったです。

またグリンデルワルトでは、ホテルに滞在中に、しょっちゅうハエが飛んでいました。
「ハエが良くいるようなんだけれども、何だろな?」と思っていると、観光客の方が、「スイスは放牧の国だからしょうがない」と言っていました。
放牧の国なので、牛を放牧するのですが、当然ハエも飛んでいるという訳です。

私はグリンデルワルト駅で、荷物をサンモリッツへ送る手続きをして、インターラーケン・オスト行きの列車に乗りました。靴もスニーカーではなく、昨日買った山歩き用の靴下と靴を履きました。

グリンデルワルトからインターラーケン・オスト、ベルン、チューリッヒ中央駅、サルガンツと、4つの列車を乗り換えて、マイエンフェルトに向かいました。

マイエンフェルトは、アニメ「アルプスの少女ハイジ」の舞台で、以前から訪れたいと思っていたのです。宿泊先はサンモリッツでしたが、その途中、マイエンフェルトを散策する予定でした。

サルガンツからは、バートラガーツ、マイエンフェルトと、2つ目の駅でした。

途中、列車の窓からバートラガーツ駅を見たのですが、バートラガーツはハイジにも出て来る街で、有名な温泉街。クララとクララのおばあさまも、静養、もしくは療養に訪れた場所です。

グリンデルワルトにて 映画「神様、なぜ愛にも国境があるの?」 ホテル・ベラリー(3)

私は映画の舞台となったグリンデルワルトのホテル・ベラリーをほんの少し見られればいいなと思って来ただけなので、ここまで長くお話しする事になるとは思っていませんでした。

しばらくすると、観光客が帰って来たようでした。
ほとんどが日本人観光客でした。

「あなた、食事はどうするの?」

「まだ食べていないんですけど・・特にどこで食べるかも、まだ決めてないんです」

「うちで食べてく? ただし料金は掛かるけど」

「あっ、じゃあそうさせて頂きます」

入口から入って左側にフロントがあり、右側は観光客が食事を取るフロアーでした。

フロントのそばにはお客さん用のソファーがあり、通して頂いた奥の広い窓際の部屋が、私が中島さんとお話したグランドピアノのあるサロンになっていました。

食事はスイス人の奥様が作って下さいました。
窓から見える美しい景色を見ながらの食事と、スイス料理はとても美味しかったです。
スイス人の奥様は、「今日はありがとうございました」と言って、握手して下さいました。

「またスイスに来る時は、ベラリーを利用させて頂きます」と言うと、
中島さんは、日本語の通じるメールアドレスと連絡先、ホームページを教えてくれました。

食事をして、また中島さんと少しお話をした後、お礼を言ってホテル・ベラリーを後にしました。
中島さんは、玄関まで見送って下さいました。
奥様とは、手を何度も振ってお別れしました。

「またスイスに滞在する時は、ホテル・ベラリーに宿泊しよう」 そう思いました。

グリンデルワルトにて 映画「神様、なぜ愛にも国境があるの?」 ホテル・ベラリー(2)

客間に通して頂いて、長い時間、中島さんとお話をしました。
日本に帰国してから知ったのですが、中島さんは、グリンデルワルト在住の先駆けとなった人だという事でした。

「スイスへは何しに来たの?」

「観光です。 明日サンモリッツに移動するんですけど、グリンデルワルトに来て、映画の舞台がこのホテルだと聞いたものですから」

「映画も全部本当ではないし、だいぶ脚色されたところも・・本当のところもあるし」

「国土は国の物で、家は全部、木造だと聞いたんですけど・・スイスは観光の国なので、景観を壊してしまうので、これ以上建てるのも難しくなっていて、建てるのも木造でないと建てられないと聞きました」

「国土が国の物? そんな事はないよ、国民の物だよ。 山の上の方はそうかもしれないけど・・誰に聞いたの?」

「現地の日本人です。今は住むのも難しくなってるって聞きました」

「そんな事はないよ、ちゃんと住めますよ。 ただしちゃんと手続きや手順は踏まないと駄目だけど・・それに家は全部木造ではないよ。 

観光の国だから表面は木造に見せてるけど、中は鉄筋コンクリートの家もありますよ。 外観だけを木造にするんですよ。

家を建てるのも出来なくはないけど、借りて住んだ方が早いでしょう? うちも貸してるよ。
山の上の方で、家だけ貸してくれればいいからって、毎年夏の間だけ住んでる人いますよ。
現地の日本人もスイスを分かってないなぁ、長く住んでるのに・・」

「中島さんのように40年も住んでる方と違うんじゃないでしょうか? あのピアノはどなたか弾かれるんですか?」

「ここに来た時、家内が弾いていたんだよ」

「スイスに住むようになったきっかけって何だったんですか?」

「まあ、居候だよ。 みんな40年も住んでるのにまだ国籍取らないの?なんて言うんだけど、国籍なんか取ったってしょうがないだろ? 住めればいい訳だから」

映画の話、チーズフォンデュの話、山の事、スイスに来て中島さんの別荘に住んでいる方の事、国民皆兵の事、スイスの事、息子さんの事、そのほか色々な話を聞かせて頂きました。

「まあ、私が生きている間にまた遊びに来てよ」

「そうしたいんですけど、必ず来れるかどうかは」

「いやいや、約束じゃないから、来れたらですよ。 機会があれば、そういう事があればです」

客間はサロンで、窓からは眩しいほどの光が差し込んでいました。

ホテル・ベラリーは、100年以上の歴史があり、1984年に改装したとの事です。
1902年には、ドイツの作家、ヘルマン・ヘッセも宿泊したとの事です。

グリンデルワルトにて 映画「神様、なぜ愛にも国境があるの?」 ホテル・ベラリー(1)

その女性は笑顔で手を振ると、そのまま真っすぐに、車を走らせて去って行きました。

首都ベルンでも、ロシニエールへ向かう列車の中でも、ミューレンからグリンデルワルトに戻る時もそうでしたが、「みんな親切だ、親切すぎる」と思いました。

日本ではこうはいかないでしょうし、親切にされる事に慣れていないので、最初はとまどいました。
この女性の車に乗せて貰った時も、「大丈夫かな? 観光客だと思って、このままどこかへ連れて行かれるんじゃないか?」と思いました。

「きっとスイスは観光の国なので、国全体が、国民が、観光客をもてなす事、接する事に慣れているんだ。それが自然に習慣として身に着いているのだろうか?」と思いました。

ホテル・ベラリーは、4階建てのようでした。

「こんにちは~」と言うと、中から犬の鳴き声がしました。
犬の鳴き声がすると、中から女性が出て来ました。

私は「あの~本を読んで・・それで来たのですが・・」

「日本人の方ですか?」

「えっ、はい」

日本語でした。
そうすると、もう1人、中から男性が出て来ました。

「あの~神様、なぜ愛にも国境があるの?という映画の本を読んで・・このホテルが物語の舞台だと聞いたものですから・・」

「ああ、どうぞどうぞ」

男性は私をホテルの奥の広い窓際の客間へ通し、

「さっ、こちらへどうぞ。 よくいらっしゃいました」

そう言って、飲み物とお菓子を出してくれました。

その方が映画の主人公のモデルとなった日本人写真家の中島正晃さんでした。
玄関で迎えてくれたスイス人の女性は奥様でした。

客間には茶色のグランドピアノが置いてありました。

グリンデルワルトにて ホテル・ベルビューからホテル・ベラリーへ

ホテル・ベルビューは真ん中に入口があり、1階がレストランで、2階と3階がホテルのようでした。
ホテルの右には、車を置くスペースがありました。

中に入ると正面にカウンターがありました。

店内には数人のお客がおり、食事を終えて中を見回すと、壁に写真が飾られていました。
昔のホテル・ベルビューの写真でした。
ベルビュー全体の写真、ベルビューの前で撮った集合写真、中のカウンターで撮った集合写真、山を背景にピッケルを持った人達の写真もありましたので、登山中かアルペンガイドの写真でしょうか?

その中に、エミール・シュトイリ氏の写真もありました。

やはり昔の写真と比べると、だいぶお店の雰囲気が違いました。

ですがここが、エミール・シュトイリ氏の経営していたホテル・ベルビューであり、作家、新田次郎の「アルプスの谷 アルプスの村」に出て来たホテル・ベルビューなのだと思いました。
新田次郎が訪れたホテル・ベルビューであり、作品の中で山岳ガイドのエミールシュトイリ氏との出会いや交流があったホテルなのです。

それから私はホテル・ベルビューを後にすると、今度はもう1つのホテルに向かいました。
今度はホテル・ベルビューとは全く逆方向のホテルです。
ホテルの名前は「ベラリー」です。

このホテルは映画「神様、なぜ愛にも国境があるの?」という映画の舞台となったホテルなのです。
日本人の男性とスイス人の女性の恋愛を描いた物語です。
日本人の写真家とスイスでホテルを経営する家に生まれた娘さんが、障害を乗り越えてやがて結ばれるという物語です。

私はホテル・ベルビューを出ると、反対側に向かって歩き、グリンデルワルト駅を過ぎて、さらに歩き続けました。
思ったよりも遠いので、途中「本当にこの道でいいのかな?」と思い、村の人を見掛けましたので、ホテルの場所を尋ねました。

「すみません、ホテル・ベラリーというのは、この方向でよろしいのでしょうか?」

その方は女性で、ちょうど車に乗ろうとしていたところのようでした。

「ホテル・ベラリー? ああ、良かったら私の車に乗って行って下さい。 送って行きますよ」

「あっ、いえ、そこまでして頂かなくても・・場所を教えて下さるだけでいいんですけど・・」

「いいから、いいから、乗って下さい。 ここからはとても長いの、歩いては大変ですよ」

私は申し訳ないと思いながらも、あんまり親切に勧めてくれるものですから、丁寧にお辞儀をして助手席に乗せて頂きました。

女性が車を走らせても私は、

「あの~ホテル・ベラリーには泊まる訳ではなくて、ただ見に行くだけなんです。 車にまで乗せて頂いては申し訳ないので・・」

「いいの、いいの、私もちょうど同じ方向へ出掛けるところだったから」

そういってホテル・ベラリーへ送って行ってくれました。
ホテル・ベラリーに着くと、女性は、指を指して、「ここがホテル・ベラリーよ」と言いました。

「お礼しないといけないと思うんですが・・」と私が言うと、「いいの、いいの、お礼なんて、気にしないで」

そう言って私を降ろすと、女性は手を振って去って行きました。

グリンデルワルトにて 新田次郎 「アルプスの谷 アルプスの村」のホテル・ベルビュー  

スポーツショップ「モンベル」で会計時に店員さんに聞いたのですが、「モンベル」をグリンデルワルトに出店するようになった経緯(いきさつ)は、創業者の方が、アイガーに登攀し、「スイスにはお世話になったから」という理由で、出店したとの事でした。

私は「モンベル」の店員さんに案内してもらったホテル・ベルビューへ向かいました。

ホテル・ベルビューは、モンベルから歩いてすぐ近くの、通り沿いにありました。
私がホテル・ベルビューに行くのは、理由がありました。

クライネ・シャイデックでは、作家、新田次郎の遺品が眠るお墓に行き、グリンデルワルトでは、新田次郎の作品「アルプスの谷 アルプスの村」に出て来る山岳ガイド、エミール・シュトイリ氏のお墓に行き、ホテル・ベルビューは、そのエミール・シュトイリ氏が経営していたホテルなのです。

新田次郎も訪れたホテルで、スイスの旅行ガイドブックや案内書、写真集などにも、時々取り上げられているようです。

新田次郎が訪れた頃とは違い、当然だいぶ変わっているだろうと思いましたが、実際に変わっていました。

お店に入ると、テーブルに案内され、私はチーズ・フォンデュはあるか聞きました。
この時間帯だとやっているとの事でしたので、チーズ・フォンデュを頼みました。
スイスの本場のチーズ・フォンデュを、新田次郎も訪れた、エミール・シュトイリ氏のホテルで食べたかったのです。

チーズ・フォンデュには、パンとゆで卵が付きました。
飲み物はオレンジジュースを頼みました。
なかなか美味しかったです。
ただ全部は食べ切れませんでした。

以前にスイスに来た時もそうだったのですが、スイスのドイツ語圏の料理は、量が多くて、味もきつくて、どうやら日本人の私には合わないようでした。

首都ベルンに滞在中も、グリンデルワルト滞在中も、量が多くて、味がきつくて、料理は合いませんでした。
ドイツにも行った時があるのですが、場所によってドイツ料理も量が多く、味がきつく、なかなか食事が進みませんでした。

以前にスイスに来た時、ドイツ語圏ではあっても、ルツェルンでカぺル橋とロイス川沿いのレストランで食べた、フランス風の魚がメインで副食がご飯の料理は、問題なく全部、美味しく食べられました。

今回のスイス滞在中で気付いた事なのですが、どうやらドイツ語圏の料理が駄目で、フランス語圏、イタリア語圏、ロマンシュ語圏の料理は、問題なく美味しく食べられるようです。

やはり地方によって、食文化に違いがあるのでしょう。

グリンデルワルトにて アウトドアショップ・モンベル

メンリッヘン展望台からグリンデルワルトに戻って来ました。

それからグリンデルワルト駅からすぐ近くにある、メインストリート沿いの「モンベル」というスポーツショップへ行きました。

山歩き用の靴と靴下、水筒を買うためです。

ベルンの石畳の街を散策し、ロシニエールを散策。
グリンデルワルトに着いてからは、ラウターブルンネンに行き、散策中に足にマメが出来て、バンソーコ-を貼り、靴下を二重にして、ミューレン、アルメントフーベルと、何とか歩いていました。

それから翌日、翌々日と、途中何度も休みながら、足をかばいながら、グリンデルワルトの村を散策し、ユングフラウ展望台へ行き、クライネ・シャイデック、メンリッヘンと散策しましたが、

「滞在中はスニーカーではとても歩けないな。ハイク用か登山用の靴でないと移動出来ないな」と思いましたので、メンリッヘン展望台を見学した後は、まっすぐにスポーツショップの「モンベル」に向かいました。現地の日本人の方に「ここのスポーツショップはいいよ」と勧められていたからです。

店員の女性に靴と靴下を選んでもらい、山歩き用の靴と靴下、水筒を買いました。
散策していて感じたのは、山の国なので、歩くしのどが渇くので、水筒は持って歩いた方がいいという事でした。
店員の女性は、「私もそうなんです。最初は歩き慣れるまでは、マメも出来るし、誰もが通る道です」と言いました。
「ハイク用のスティックはどうしますか?」と聞かれましたが、それは買いませんでした。

それから私は店員さんに場所を聞いて、ホテル・ベルビューへ向かいました。
「ホテル・ベルビューはどの辺にあるか分かりますか? ここのチーズフォンデュは美味しいと聞いたので、滞在中に食べてみたいんです」

「ホテル・ベルビュー? ああ、そこならここから歩いてすぐですよ。 まだお昼だから、チーズフォンデュもあるかもね」と言いました。

私は翌日からの散策のために、「モンベル」で山歩き用の靴と靴下、水筒を買った後、いったんホテルに荷物を置いてから、ホテル・ベルビューへ向かいました。